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2014年7月5日土曜日

軍隊が貧しい若者の行き先となる社会

昨日、フォトジャーナリストの柴田大輔さんが7ヶ月滞在した、コロンビアのアワ民族の村の話をきいた。柴田さんは、この村からエクアドルへ避難している人たちと知り合ったことをきっかけに、ここを訪ねる決意をしたという。長引く内戦のために、村で安全に暮らして行けなくなった大勢の人たちが、コロンビアから隣国エクアドルへ避難している。その数、13万人とか。アワの人々もその一部だ。

内戦は、政府とコロンビア革命軍(FARC)および国民解放軍(ELN)の間で、約半世紀も続いてきた。現在、政府とFARCはキューバを舞台に和平交渉をしているが、内戦がこれまでに国民の暮らしに落とした影は、暗く深い。

柴田さんが滞在した村でも、村人がゲリラと疑われ民兵や政府軍に連れ去られたり、殺されたりしている。ゲリラに入り、生きて帰って来なかった若者もいる。

写真とともに話をききながら、怒りとやるせない思いを抱いたのは、どこの国のどんな戦争、紛争、内戦においても、血を流すのはほとんどいつも、貧困層の若者たちだという事実についてだ。ゲリラにシンパシーを感じるアワの村人たちが、悪魔、と非難する政府軍の兵士たちは大抵、二十歳前後の若者だという。政府軍兵士をうつした写真には、軍服さえ着ていなければ、ガールフレンドとラップやレゲトン、サルサを踊っていそうな、あどけない顔の青年たちがならぶ。

その光景はかつて、メキシコ・チアパス州でサパティスタ民族解放軍(EZLN)を殲滅するためにジャングルの農村地帯に送り込まれたメキシコ政府軍兵士と、同じだ。ラテンアメリカの多くの国で、最前線で戦う平の兵士は、故郷ではまともな収入を得る手段を持たない若者。生活費と給金を保証された軍隊に入るしか、生きて行く術を持たない青年たちだ。政府の圧政や格差社会を変えるために武器を取ったゲリラ兵士たちの多くと彼らは、同じ境遇に置かれている。ちょっとした環境、状況の差で、敵味方になっている。

メキシコの麻薬戦争においても、同じような現象が起きている。マフィアの親分連中はともかく、末端で殺し屋や運び屋をやるメンバーは大半が、貧困層の若者。彼らと対峙する政府軍や警察の前線にいる者たちも同様。

米軍で戦場へ行く兵士も、メキシコなどから不法入国で来た若者たちの志願兵であるケースが増えている。任務を果せば、市民権を得られるからだ。普通に青春をエンジョイしている若者たちは、戦場へなど行きたくないから、軍隊に志願したりはしない。だから、貧しく追いつめられた若者を「市民権」というエサでつるのだ。

軍隊が、貧しい若者たちの就職先やよりどころとなるような社会に、真の平和は訪れない。戦争をしたがっているようにしか見えない某国の首相にも、そのことをしっかりと認識してほしい。戦場に行く自衛隊員が足りなくなったら、彼はどうするつもりなのか?就職難の若者たちに何か美味しいエサを与えて、自衛隊に入ってもらうのか?
そんな社会に平和はない。







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