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2014年12月21日日曜日

米・キューバ国交正常化の未来に想う

大ニュースとして、日本でも様々なメディアで取り上げられたこの出来事。キューバ市民はほとんど皆が喜んでいる、と報道されている。1990年からほぼ毎年通い続けたキューバの人々、友人、名付け子(親に何かあったときには面倒をみることになっている子ども。私たちの名付け子はまもなく二十歳になる青年だ)の未来を考えると、なかなか手放しには喜べないものが、私にはある。

日本人にとっては恐らく、陽気でリズミカルな音楽や踊りと野球やバレーといったスポーツのイメージしかないキューバだが、この国の人々は1959年のキューバ革命以降、様々な政治的、経済的苦難を乗り越え、今のキューバを築いてきた。今回、米国はキューバに歩み寄ることになったが、すでに報道されているオバマ大統領のこの決断の理由以外で見逃せないのは、これまで歩み寄りを許さなかった米国内の「勢力」がもはや力を失った、ということだろう。

90年代前半、私たちはあるCS放送の番組で、「ふたつのキューバ」というドキュメンタリーを作った。ふたつ、というのは、「キューバ」と「マイアミ」だ。革命直後から、マイアミには富裕層を中心に、カストロ政権とイデオロギーを異にするキューバ人たちが亡命し、腰を落ち着けた。そしてそこから武力攻撃や暗殺をはじめ、カストロ政権を倒すための様々な戦いを仕掛けてきた。と同時に、米国の政治・経済界でも重要な立場を占めるようになり、歴代政権の対キューバ政策に強い影響力を持ち続けてきた。ところが、社会主義圏の崩壊に伴う経済難民が、マイアミにたどり着くキューバ人の中心となり始めた90年代以降、マイアミのキューバ人社会自体が変わってきた。現在、頑に反カストロを叫んできた人々は高齢になり、在米キューバ人の多くが祖国との友好的な関係と自由な交流を望むようになっている。「ふたつのキューバ」をひとつにしたいという意思が、強まっている。

キューバの首都ハバナの市民は、ほとんどが米国に家族や親戚、友人を持つ。わが名付け子の周りをみていても、その数は年々増えているのではないかと想像する。だから、規制や手間なく米国との間を自由に行き来し、交流できることを望むのは当然だろう。特に若者にとって、海外へ行くのにいくつもハードルがあるというのは、いいことであるはずがない。日本人の若者なら、隣国へ旅行するのにいくつも書類を提出したり、何ヶ月もビザ待ちしたりしなければならないなんてことは、想像もできないに違いない。

キューバでは、昔から米国の音楽、テレビドラマ、ハリウッド映画など、アメリカン・カルチャーが普通に楽しまれている。わが名付け子の高校では、昼休みに校内のテレビモニターで「フレンズ」を流していたくらいだ。両国の関係が正常化して、自由な交流が深まれば、キューバの若者たちはもっとアメリカナイズされることが予想される。

今は、例えばキューバのネット環境は最悪で、ふつうの市民は一般にインターネットを利用できない。私たちのように、何でもネット検索できる、という状況は夢のような話だ。メールでさえ、自宅で使える人は限られており、大抵はメール専用のネットサービスセンターのような所に並んで入り、やっと送受信できるという感じだ。これが普通にネットを使えるようになれば、その影響力は計り知れない。

米国は、関係改善を通して何よりも、すでにキューバに経済進出している欧州やロシア、中国、韓国などに美味しいところを全部持って行かれる前に、かつてのような経済的影響力を確保したいというのが、本音だろう。そうだとすると、キューバにとって今後の課題はまさに、「革命以降築いてきたもの」をどのように受け継いで行くかを、真剣かつ慎重に考えるということだ。

米国からのモノと文化の大量流入は、どんなに経済的困難に見舞われても守ってきた無償の医療と教育、医者や識字教師を第三世界の国々に派遣し国際貢献する(シエラレオネにも多くの医師が派遣されている)という「キューバの心」、革命精神さえ、揺るがしかねない。21世紀、資本主義世界に足を突っ込むということは、中国やベトナムをみればわかる通り、極端な個人主義と格差を容認するということであり、そんな社会で平等の精神に裏打ちされた社会制度を維持することは、非常に困難だ。

様々な第三世界の国々で、ストリートチルドレンやスラムの人々、先住民など、底辺に追いやられた人たちを見続けてきた私たちにとって、「キューバの心」は大切に守って行きたいものだ。もちろん、わが名付け子には私たちの知る世界を自由に訪ね、キューバ国内の限られた選択肢の中ではなく、世界を視野に自分の能力を活かせる場所で学び働いてほしいが、それは「より(経済的に)豊かになれるように」という理由ではなく、より自分らしく生きるために、という意味でのことだ。つまり、キューバがどんなに米国と親しくなっても、忘れてほしくないのは、キューバ人が資本主義先進国へ行っても活躍できる、活躍できるという自信を持てるのは、キューバがすべての人に無償の教育を提供し、十分とは言えないまでも無料で国民の健康管理を続けてきたからだということだ。米国へ移民しても、貧しいメキシコ人の得られる機会とキューバ人が得られるそれとは、天と地ほども違う。中学も出ていないメキシコ人は、低賃金労働者として便利に使われるだけ。キューバ人のように企業で活躍できる人はほとんどいない。

キューバの人々をみていると、いつも考えさせられる。人が真に幸せになり、社会や世界に貢献する人間になるためには、単に教育を受けるだけでは不十分だし、単にお金をある程度持っているだけでも、自由に海外へ行けるだけでも駄目。ホセ・マルティが言うように、教養を身につけることで心と頭を自由にし、普通に暮らせる程度の経済力を持つなかで、異なる世界と人々のことをみる・考える視野の広さとバランス感覚を持つことが、大切なのではないかと。上ばかりみていても下ばかりみていても、右ばかりむいていても左ばかりむいていても、決して幸せにはなれない、ひとを思いやることはできない。

これからのキューバの闘いは、私たちが真に幸せで社会・国際貢献できる人間になるためにはどうすればよいかを模索する闘いでもあるのかもしれない。

2014年12月11日木曜日

若者たちの官邸前

特別秘密保護法が施行した昨日、官邸前には再び若者、元若者が1700人ほど集まった。私は知り合いの大学生が参加する「特別秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL)」がこの集まりを主催していると知り、出かけた。

開始時間の夕方6時に着くと、老若男女、様々な世代の人々の姿が夜の官邸前交差点に浮かんでいた。最初から、抗議行動用スペースと一般歩行者用スペース、車道が柵で分けられているのが、いつも気になる。ほかの国のデモや路上集会で、こんな光景はほとんどみたことがない。抗議行動の迫力を削ぐために、どっと集まれないようにしているとしか思えない。「ほかの人たち・車の邪魔にならないように」ということだが、邪魔になるくらいでないと、ひとはその切実さ、問題となっていることの深刻さを強く感じないものだ。

どのくらい人がいるのか確かめようと、うろちょろしていると、私の名を呼ぶ人がいる。一緒に本を作らせていただいたことがあり、私たち「ストリートチルドレンを考える会」の会員もである、絵本作家の浜田桂子さんだった。浜田さんら子どもに関わる仕事をされている作家たちも、この法律に抗議する運動をしている。行動する作家にそこで出会えたことで、元気が出た。

「若者たちが渋谷でデモした時も参加したのだけれど、リズムが違って、カッコいいのよね」と浜田さん。学生主導の集まりは、コールを上げるにもヒップホップのリズムとメロディーにのせて叫ぶから、歯切れが良い。なになにはんたぁ〜い、と叫ぶ中高年のそれとは確かに違う。

しばし叫ぶと、今度はスピーチの番が来る。最初に話した女子学生の言葉は、率直かつよく練られたもので、もっと大勢の若者に、おとなに伝えたいと思うと同時に、自分の学生時代の思いと重なるものがあり、共感を覚えた。

彼女は昨年も、官邸前で行われた大きな抗議集会に来たという。地下鉄に乗り、官邸前にたどり着くと、人の多さと熱気、叫びに圧倒され、自分には場違いではないかと感じて、結局その輪の中に入ることができなかった。そして地下鉄で帰路に着く。新宿まで行き、下車した彼女は周囲を見回した。と、そこにはこの世の中に何の問題もないかのように笑顔で通り過ぎる人々がいた。官邸前とここにいる人々のギャップ。それをみたとき涙が出たという。と、同時に、官邸前の場の雰囲気に圧倒され、一言も発せず意見を述べずに逃げてきた自分自身に腹が立ったとも。そして彼女は決意した。この国の民主主義と未来に関わることをきちんと自分で学び、考え、発言し、行動していこうと。

「無関心でいるうちに、市民が声を上げることができる可能性を奪われていく」、「忙しいことを理由に、勉強することから逃げていた。人々が戦い、勝ち取ってきた自由のもとに生かされていながら、自分では戦うことを放棄していた」、「平和は勝手に歩いてはこないんだ」---- 若者たちのスピーチには、多くのおとなが忘れている、たとえ気づいてはいても、自分の生活をややこしくしないために敢えて触れないようにしている真実が、たくさんちりばめられている。

私たちは彼らと同世代でも、もっと歳を取っていても、それに関係なく、ヒップホップでもラップでも演歌でもサンバでも、あらゆるリズムにのって、ともに声を上げるべき時にいる。上げるべき時に上げないと、70年前の戦争のようなことが起きる。福島の原発事故のようなことが起きる。それがわからない人は、鈍感なのか、想像力がなさすぎるのか、未来の人々に対する思いやりがなさすぎる自己中なのか、だ。

今年のノーベル平和賞を受賞したサティヤルティさんとマララさんのスピーチにも、世界の未来を思いやるメッセージが込められていた。私たちはそれを自分のものとし、行動で示さねばならない。
「知識を民主化し、正義を普遍化し、ともに思いやりを世界中に広げよう」
「空っぽの教室、失われた子ども時代、無駄にされた可能性を目にすることを"最後"にすることを決めた、"最初"の世代になりましょう」







2014年11月26日水曜日

JK産業と中米のギャング団

先日、自らもJK産業に関わっていたことがあり、現在は女子高校生(JK)を支援する団体を運営する女性が、その実態とそこに関わる少女たちの心の問題を語った新聞記事を読んだ。そのとき、頭にふと、「構造が同じじゃないか!?」という複雑な思いが浮かんだ。9月に取材した中米の凶悪な若者ギャング団、Marasの問題と同じ臭いを感じたのだ。

Marasとは、中米を中心に恐れられているギャング団のこと。最も有名な二つ、MS-13とM-18というマラスは、メキシコの麻薬戦争の主役たち=麻薬カルテル同様に、「多国籍」な組織として活動し、麻薬や武器の密売、誘拐、人身売買、強盗、殺人など、あらゆる犯罪に関わっている。カルテルと組んでいるグループもある。(詳しくは12月と1月に出る岩波「世界」と週刊金曜日の記事を参照。)

そんな恐ろしいギャングとJK産業が同じ!!??と思うかもしれないが、ギャング団のメンバーは女子高生と同世代、ティーンエイジャーがメインで、マラスに入っていなければ、ごく普通の子ども・若者たちだ。ただ、ひどく貧しく、家庭に問題があり、安心できる居場所がないために、仲間とお金と庇護を提供してくれるマラスにひかれる。やっている犯罪は凶悪だが、一旦そこにハマってしまうと抜けられず、徐々に痛みを忘れてしまうという。なぜなら、もともと社会に対する恨みや怒りを抱えており、愛情に飢えていたところへ、ギャング団が「家族のような」ケアを与えてくれたからだ。

JK産業では、スカウトが優しく親切に話をきき、店長も声をかけてくれるし、オーナーも時々気遣いをみせてくれる。この3点セットで、少女たちは自分のことを大切に思ってくれている人がいる、居場所があると感じるという。それはマラスが提供しているものと、同じだ。もしもマラスが日本で活動するとすれば、凶悪犯罪ではなく、もっと別の商売を考えただろう。日本では中米で起きているような暴力犯罪を広げる社会的基盤がない。つまり、ギャングとJK産業は、商売は異なっているが、そこで働く若者たちが抱える問題とそれを利用して組織を拡大していく構造は、同じだということだ。

「(真実を)きちんと理解していないために、路上で死んで行く」
キリストの教えに導かれてマラスを抜けた若者たちがyou-tubeで流しているラップの歌詞は、そう繰り返す。「本当は、真の思いやりも友も尊厳も得られずに、罪のない人を傷つけ、路上で死んで行く人生なんて、望んでないはずだ」と、語りかける。大切なのは、一時の感情に流される、だまされるのではなく、自分にとっての真実、世界の真実をきちんと理解したうえで、生きる道を選ぶことだ、と。

ラッパーの青年たちは最後に、神の教えに耳を傾けようと歌うが、それはキリスト教信者としての言葉で、JK産業の少女たちには関係ないかもしれない。が、何を信じるにしても、まずは真実を理解することが大切だということは、間違いない。

日本の子どもたち、若者たちは、凶悪なギャングにはならないかもしれない。が、抱えている心の問題は、中米のギャングとなった若者たちと変わらない。その事実が意味することの重さを、考えずにはいられない。




2014年11月11日火曜日

どうせ死ぬなら正しいことのために

昨日、ブラジルのゴミ集積場で働く少年3人組の物語を描いた映画「トラッシュ」を、試写会でみた。ゴミ山やスラムの子どもたちをテーマにした映画はこれまでにもいくつかつくられたが、この作品はミステリー風のストーリーが面白く、重いテーマを扱っているが、エンターテイメントとして楽しめる。

話の筋をものすごく簡単に言うと、こうだ。

スラム暮らしの少年たちは、ゴミ山でお金とコインロッカーの鍵、アニマルロト(動物の絵がかかれた宝くじ)、数字のメモがかかれた父娘の写真などが入った財布を見つける。それは、ある政治家の汚職を暴くために命がけで証拠を盗み隠した男が、汚職追及の鍵となる品々を入れた財布だった。そのため、彼らは汚職政治家の手下である警察に、財布を渡せと脅されるが、殺されかけても死にかけても、それに従わない。そして、財布の持ち主が伝えようとしたメッセージを読み解くために、あらゆる危険を承知で闘うのだ。

ブラジルだけでなく、第三世界の多くの国々に、解消されない貧富の格差、企業/団体から汚職政治家への不正献金問題、金と権力にコントロールされている警察の腐敗といった問題は、常に存在している。それに憤慨し、解決を目指した闘いを挑む市民も、少なからずいる。日本に比べれば、ずっと多いだろう。が、その市民の声は問題を解消するだけの力を持ちきれずに、今に至っているというのが現実だ。最も貧しい人々は生きるのに必死で、社会全体の問題に取り組む余裕がないし、裕福な人々は自分たちの平和と幸福を維持するためには「問題」に本気で取り組まないのが賢明だと知っている。

そんな状況をふまえて映画の主人公たちの言動をみると、ふと考えさせられる。彼らはあそこまで命の危険を感じながらも、なぜ正義のために闘おうとしたのだろうか?と。もちろん事件には大金が絡んでおり、うまくすれば自分たちもそのおこぼれに預かれるかもしれないという目論みもあったかもしれない。が、それにしても、安全にお金を手に入れるのなら、財布を渡して警察が提示していた「謝礼」をもらったほうが、簡単だったに違いない。だのになぜ?

その答えはもしかすると、彼らのような貧困層の子ども・若者に社会が与えてきた人生の選択肢は何か?ということを考えることでみつかるのかもしれない、と思った。
これはあくまでも映画のお話、フィクションで、実際には恐らく大抵の人間が「安全にお金をもらう」ほうを選ぶだろうが、ここで敢えてそうではないケースを映画の題材にしたことの裏には、もしかすると、その「選択の理由」を考えてほしい、という製作者の思いがあったのかもしれない。

私の勝手な解釈だが、少年たちが命がけで「正しいことをする」ことを選択したのは、同じ命がけなら、そっちのほうがいいじゃないか、かっこいいぜ!と思ったからではないか。

ブラジルのスラムが危険極まりない場所であることは、映画「シティ・オブ・ゴッド」でも描かれている。ブラジルに限らず、多くの第三世界の国々で、スラムの子ども・若者たちは、理不尽な政治や犯罪によって、簡単に命を落とすことのある運命のもとに生まれていることを、よく知っている。つまり、いいことをしていても悪いことをしていても、わりと簡単に死が訪れるかもしれないという予感を持っているのだ。
ならば、正しいことをするほうが、価値がある。
そう考えたのではないだろうか?

これまでに出会った路上の子どもたち、スラムの子どもたち、その多くはこちらがヒヤヒヤするような危険なことを、平気でやる。車がガンガン走る通りを、平気で横切ったり、高い塀の上を踊りながら歩いたり。でも、そんな感覚がもし、社会を変える、すごいことのために活かせるなら、そっちに挑んでみようぜ!そんな思いが、この映画の主人公たちを動かしたのではないか。子どもたちの姿を思い出すと、そう思ってしまう。

ほんとうは、どこの国の子どももおとなもみんなが、「どうせいつか死ぬのなら、正しいことのために闘おう」という意識を持っていれば、世界はもっとずっとよくなるに違いない。










2014年10月16日木曜日

飲み二ケーションとアクションの人

スペイン取材中の今、突然、信じられない知らせをメールで受けた。24年前、ともにNGO「ストリートチルドレンを考える会」を立ち上げた相川民蔵さんが、急死されたという内容だった。まだ(と言っていいと思う)80歳。わが父よりも若く、つい数ヶ月前にお会いした際は、ご自宅でいつものように一緒に日本酒、ワイン、焼酎を飲みながら、うたい語り合ったばかりだった。正直、「信じられない」を通りこして、告別式に参加できないことをいいことに、信じないことにしようと思う。

思えば、私とパートナーの篠田有史が今、仕事とボランティアの両方でこうして「ストリートチルドレン」と関わり続けているのは、相川さんの一言がきっかけでのことだ。東京の路上に「浮浪児」と呼ばれる子どもたちが大勢いた時代、父親を戦争に奪われはしたが母親やきょうだいと暮らす自分と、その子どもたちの違いを衝撃をもって見つめた相川少年は、自らが60代になってからテレビで観た「第三世界のストリートチルドレン」の姿に、再び衝撃を受ける。世界にはいまだにこんな子どもたちが大勢いるのか!と。そんな相川さんが、当時、銀座のフォトサロンで写真展を開いていた篠田に、「ストリートチルドレンの取材をしてみないか」と話しかけたのが、すべての始まりだった。

この話、実は拙著「ストリートチルドレン」(岩波ジュニア新書)にも書いた。が、今改めて思い返すと、これがまさにいわゆる運命の出会いだった。その後、私は篠田とともに、学生時代からの「我が庭」であるメキシコシティを舞台に路上の子どもたちを追い始め、1993年には相川さんの提案で、NGO「ストリートチルドンを考える会」を立ち上げた。が、そのNGOがまさかこんなに長く続き、こんなに様々な仲間とつながるきっかけになるとは、思いもしなかった。

労働運動を担ってきた相川さんならではの発想で、「運動にしよう!」とNGO 活動を始めたわけだったが、何何運動というものとは基本的に縁のない世代の私は、「なんだか良く分からないけれど、記事や本を書くだけでなく、子どもたちのことを多くの人たちに知らせる様々な活動をするんだ!」という程度の認識で、会の活動を始めた。その会の発想とアクションの原点にいた相川さんの姿が、もうここにないとは、とても信じがたい。

相川さんとは、回数、お酒の分量ともに、よく飲んだ。相川さんは、いまや絶滅の危機にあるともいわれる「飲みニケーション」の人だった。私自身、学生時代から飲み会大好き人間であるため、ノンアルコール人間であるわがパートナーに疎まれつつも、誘われればいつも相川さんと共に飲んだくれた。私はそんな飲みニケーション男の相川さんが、好きだ。むろん飲み過ぎはよくないが、世代をこえて夢を語り合う場を大切にするその姿勢は、これからも見習い、ずっと大切にしていきたいと思う。

飲みニケーションの世代にも、ただ飲んで語ってハイおしまい、の人なら大勢いる。が、そこにあらゆる世代の人間を巻き込み、次のアクションを引き起こしていくエネルギーと情熱を示す人は、そういない。時代はマニュアル人間の増殖を促しているとも言われるが、相川さんのように、自らの思いからやるべきことを考え、それを実行することのできる人間を増やしていくためにも、私たちはその精神を忘れず、相川さんがそこにいると思い、飲み、語り、動いていきたい。

あたきたりに、ひとつの時代が終わった、などどは、到底言えない。時代は常に引き継がれ、進化し、より良い時代を創りだしていくのもだと、教えられたのだから。




2014年10月5日日曜日

加害者としての意識をもつ

メキシコ、ホンジュラスでの取材に追われるあまり、ずっとこのブログをさぼっていたが、今日は久々に書こうと思う。

今年の春、まだ寒い頃に、ステファン・エセルの言葉をモチーフにした映画の試写会で、高校生と大学生の少女4人と出会った。彼女たちは、「U-20デモ実行委員会」のメンバーだ。そのうちの一人から、先日、突然のメールをもらった。来年、高専の4年目にあたる年に、国費プログラムを使って海外のNGOでのボランティアと語学習得を組み合わせた留学を考えているという。ついては途上国のNGOで活動する方法を教えてほしい、とにかく電話で話がしたい、という内容。彼女は福島の原発事故被災地域に住む高校生だ。

無料であるうえ顔をみて話せるということで、スカイプを使って会話をした。彼女の関心は、エセルのメッセージにも現れている「グローバリゼーションがもたらした不公平や矛盾を、途上国で実際に見聞、体験したい」ということと、「スペインの市民運動15Mのようなクリエイティブな市民運動を直接感じたい」ということだった。高校時代の私自身に比べれば、ずっと社会意識が高く、感心させられる。

特に感心したのは、原発事故被害を生きる子どもである彼女が、途上国の現実を知らなければならないと考えた理由だ。いわく、「普段は、原発事故のせいで避難を余儀なくされたり、放射能の心配をしたりしなければならない"かわいそうな高校生"として、いろいろな所で話をしているんですけど、途上国のように、世界にはもっと不公平でかわいそうな状況の子どもたちがいるわけで、私たちはずっと恵まれた状況にいるのにそれを当たり前と思って暮らしているのだから、もっと現実をちゃんと知らないといけないと思うんです」。

そんな彼女に私は、若さを最大限に生かして世界の問題を体感するには、まず途上国と呼ばれる地域で理屈抜きの異文化体験、矛盾した世界を生きて感じることに、1年くらいかけてはどうだとろうかと、提案した。そして今、彼女はどうやらフィリピンのストリートチルドレン関係の現地NGOに行くことを考えているようだ。

被災地の子どもが、第三世界に対しては自分が加害者である可能性を意識した発言。私たちの豊かさの裏側に、ほかの人々の貧困がある現実に思いを馳せ、その現実を知らずに自分だけ被害者のような気になっていてはいけない、もっと世界を知らなければ、と考える姿勢。そこに、福島の、被災地の未来に対するほんとうの意味での希望を抱いた。

JICAの青年海外協力隊としてメキシコシティでストリートチルドレンを支援した経験を持つ若者で、福島で幼稚園を運営する知人も、彼の苦労を気遣う知人に「メキシコの子どもたちに比べれば、大したことはない」と言ったそうだ。子どもたち、若者たちにはぜひ、彼や彼女のような視点を持って、世界へ目を向け、願わくばその現場を自分の目で見て生きてみてほしい。そうすれば、辛く悲惨な出来事の被害者も、被害者であることにとどまることなく、新たな加害を阻止するための行動者となり、地域、国、世界の希望となるるからだ。

私たち日本人は、実は世界において、様々な面で多くの人々に対して加害者である場合が多い。それに気づき、行動することは、自分自身の未来にも希望と幸福をもたらす。自身も被害者でありながら、それに気づき、行動しはじめている福島の高校生を、ぜひ応援したい。




2014年8月27日水曜日

子どもに嘘をついてはいけない

私たちのNGOのニュースレターに今、ドイツ文学者で「子どもの本/九条の会」メンバーの小澤俊夫さんが今の日本の状況を憂え、戦争中のことを語る文章を掲載している。そのなかには、戦時中の学校教育がいかにひどく、嘘に満ちていたかが綴られている。その記事を読んだ後、先日、テレビで「少年H」というドラマをみた。

そこでもやはり主人公、中学生であるH少年が、戦争中、学校を支配する軍国主義に疑問を抱き続ける姿が描かれている。学校には軍人が常駐し、子どもたちにどう考えても役に立ちそうにない軍事訓練を受けさせるだけでなく、印象派の巨匠マネの裸婦を模写したスケッチブックにけちをつけ、H少年を殴る者もいる。戦況が悪くなり、金属資源不足になると、校庭にたっている二宮尊徳の銅像を「徴兵」、そのために仰々しい儀式を子どもたちを集めて行う。まともな人間がみれば、ばかばかしい理不尽なことが、大まじめに押し付けられる。

そんな作品をみた直後、帰省する機会があったため、うちの父にそれらのことが実際にあったのか、尋ねてみた。というのも、H少年と父は同い歳だからだ。

父は、あったよ、と言う。銃を持って匍匐前進したり、毎週一度は天皇皇后の写真を全員で拝んだり、銅像の二宮さんは去り、代わりに陶器のものがやってきたり。とても自分たちの命を守るためにも、国のためにも役に立ちそうにないことを、いろいろやらされたが、無意味ではないかという問いかけをするにも、先生がそれを指示し、みんなが黙って従っているのだから、どうしようもなかった。「だから、戦争に負けた時、学校が荒れたよ。生徒はみんな、もう教師の言うことを信用しなくなった。校舎の窓ガラスを割ったりして、抗議の思いを表していた」と、父。

戦争の頃の子どもたちの声をきいて、改めて思う。教職にある者はもちろん、私たちおとなは、どんなときも常にできるだけごまかしや偽り、嘘を語らないように、物事を自分でよく考え、分析したうえで、子どもたちに伝えなければならないと。

「ストリートエデュケーター」と呼ばれる、路上の子どもたちを訪ねて歩き、支援をするNGO職員は、いつも言う。「路上暮らしの子どもたちは、よく約束を破る。でも僕らはいついつ会おうねと言ったら、必ずその時間にそこへ行かなければならない。そうでないと、子どもたちはますますおとなを信用しなくなる」。

誤って嘘を教えたら、訂正すればいい。だが、最初から嘘とわかっていること、嘘ではないかと自分が疑っていることを、子どもたちにあたかも真実のように伝えることは、大きな罪だと、私たちは自覚したい。








2014年8月8日金曜日

よいこは静かに遊べません

子どもたちが遊ぶための公園に、「よいこはしずかにあそべます。おおごえでさけばないでね」と張り紙がしてあるという。しかも、アンパンマンの絵付きだ。ええっ!!公園でワイワイとびまわり、はしゃいで遊んじゃいけないの?悪い子なの??!!

この張り紙を紹介した朝日新聞の記事は、社会(おとな)が子どもに対して寛容でなくなってきいてることを指摘していた。小学生が登校の際、校門のところで先生に、「おはようございます!」と元気にあいさつすることすら、「うるさい」という苦情の対象になっている地域があるという。母親たちも指摘していたが、もっと子どもを生んで育ててほしいという一方で、生んだ子どもが声をあげると、うるさいという社会というのは、いったいどういう社会なのか。

高齢化の問題とともに、子育て環境の問題が深刻な日本。どちらも、うまく対応していくには社会の人々みんなの理解と寛容さが大切な問題だ。が、日本社会ではむしろ、その理解への努力も自分とは異なる世代や感覚をもつ隣人たちへの寛容さも、どんどん減っている。

明日は、私たちの運営するNGO「ストリートチルドレンを考える会」で、「へいわって、どんなこと」というテーマで絵本を読み、メキシコで中学生対象に行われている非暴力ワークショップを行うが、そこでしっかりと語りあいたいのも、まさに、この「理解と寛容さ」だと考えている。

子どもはのびのびと大きな声を出してみたり、かけまわってみたり、おとなを困らせてみたりしながら、大きくなってこそ、ひとのやさしさやありがたみがわかり、思いやりのある、寛容な心をもつ人間になるものだ。

それを押さえつけるために、「よいこは−  」という言い方をして子どもたちを脅すのは、ある意味、お国のために戦わないのは非国民だ、というのと同じくらい理不尽な事だと、私は感じる。

2014年7月29日火曜日

経済的貧困が親・子どもを極度に追い詰める社会

子どもの最貧国・日本 −学力・心身・社会におよぶ諸影響」(山野良一・著/光文社新書 2008)のなかで、児童福祉司である著者・山野氏は、日本では長い間貧困問題が語られなかった、と書いている。厚生労働省1965年以降、長きに渡って貧困に関わる公的な測定そのものをやめていたのだ2008年にようやく「子どもの貧困問題」に光が当たり始めたが、まだまだ現実への対応はできていない、と山野氏は語る。ほかの先進国に比べ、非常に高い子どもの貧困率(昨年7月で過去最高の16.3%)を示している現在の日本。その「貧困」とは、貧困苦とは、単なる収入の少なさから来るものなのだろうか?

社会的に「あってはならない」とされる「貧困の大きさは、社会それ自体の経済的な豊かさとは関係がない。むしろ貧困を「再発見」していく「目」や「声」の大きさとかかわっている− 社会福祉学者・岩田正美氏はそう指摘しているという。この言葉から、私は「市民が、周囲で困っている人に気づき、互いにさりげなく支えあいながら、ともに生きていく環境を築けるかどうかに、社会の豊かさはかかっている」といったことを想う。
 
「第三世界」に目を向けても、子どもたちが家庭の経済的貧しさにより追い詰められているのは、やはり、人間関係や相互扶助意識、平等意識が失われている、損なわれている環境においてだからだ。特にメキシコなど、新自由主義的なグローバル化と経済成長至上主義が色濃い国、社会において、国の経済力は世界でも上位にありながら、「貧困に苦しむ」「貧困から生まれる問題に蝕まれた」家庭や子どもが、より貧乏な国々においてよりも多いことは、貧困問題の本質がひとの精神や意識、心の中にあることを示している。
 ストリートチルドレンが抱える問題、というと、ひとは一般に、家がない、食べ物がない、学校に行けない、といったことを思い浮かべるだろう。それと同様に、「子どもの貧困問題」というと、大半の日本人は、家庭の収入の低さを最も問題視するだろう。が、収入が低くても、周囲の理解や助けによって前向きに生活していける環境に暮らしていれば、ひとはそれを「深刻な問題」として「苦」にしたり、追い詰められたりすることはないものだ。そのことは、日本よりももっと経済的に貧しい国々のスラム住民の姿をみてもわかる。所得の低さを解消することは無論必要なことだが、それが達成されないからといって、貧困家庭の皆が皆、世間から阻害され、切り離され、子どもが虐待を受けるほど親が追い詰められたりするわけではない。多くの場合、そうした問題はその「世間」が抱える本質的な問題によって引き起こされている、と言うべきだろう。

先述の「子どもの最貧国・日本」では、日本との比較で、海外のこんな事例を紹介している。米国では1909年の貧困家庭の子どもへの対応についての会議で、子どもたちは家庭が貧困だというだけの理由で、家庭から引き離されるべきではないと結論づけている、というのだその背景には、「貧困階級の人々にとって一番大切なのは、人間関係であり集団のなかで生き抜くことであり、誰かを喜ばすことであって、中流階級の人々のように、何かを成し遂げたり、労働に勤しむことではないとされている」という当時の専門家の見解や、子どもは家庭で暮らせるのが一番なのだから、まずはその家庭が子どもの良き居場所となるような環境をつくる手助けをするのが第一だ、という考え方がある。だから、仮に貧困家庭の子どもに一時親と離れて暮らすことを選択させる場合でも、施設に入れるのではなく、里親家庭に預かってもらうことをまず考えるというわけだ。

そこには、子どもにとって何が一番大切なのか、に関する米国の考え方がはっきりと示されている。ある意味当たり前のことなのだが、それは「家族と生きられること」だ。ともに生きられないような家族になってしまった理由が、経済的貧困がもたらすストレスである場合、その最大の原因は、実は親個人ではなく、人々に「人並みのお金やモノを持っていないとダメだ」と思い込ませている世間、社会、世界なのだと、私は思う。

日本の貧しい母子家庭の抱える悩みの中には、「子どもが”学校でみんなと同じ流行のスニーカーをはいていないと、いろいろ言われる”と悩んでいる」といったものも、結構多いと聞く。靴が買えない、ではなく、みんなと同じ靴が買えない、と惨めな思いをする世の中なのだ。この子をみじめにさせ、親にストレスを与えているのは、流行のものを持つことがいいと思っている、皆がそうできるわけではないということに思いが至らない隣人たち、皆と同じでないといけないような世間の空気、お金やモノの豊かさで根本的な問題をごまかし、幸せ感を高めようとする社会・世界の誤った価値意識だ。

そんな意識のせいで、日本人は今、原発問題や憲法をめぐる平和問題といった、私たちの幸福や生存にもっと根本的に関わる重要問題までを脇に追いやって、経済成長や景気ばかりを気にし、優先している。

今のままでは、私たちはたとえ収入が増えたとしても、ほんとうに幸せな暮らしなど、到底手にできない。「経済に支配された格差社会においては、きょうの”勝ち組”もまた、明日に不安を抱き、意味のない心理的ストレスと無駄な経済的負担を、個人的にも社会的にも背負っている(「子どもの最貧国・日本」より)」からだ

経済的貧困が親や子どもを極度に追い詰める社会とは、そこに生きる大半の人が、経済成長論理に意識・無意識に支配され、それを抜きにした人間関係を築けなくなっている社会のことではないだろうか。同じようなもの、生活スタイルを持つ者同士だけが、対等に付き合える社会では、常に排除する者とされる者が存在する。いまはよくても、排除される側にならないよう、常に不安を抱えてもがく市民がいる。そんな排他的で非人間的な社会意識を変えることこそが、子どもたちの未来を真に明るいものにするために最も必要なことではないだろうか。

それに気づき始めた人たちが今、「もうひとつの経済」を提案し、いわゆる金銭収入=所得が安定的になくても、誰もが安心して暮らせる社会を築くための取り組みをしている。その話はまたの機会に。  (ストリートチルドレンを考える会Vuela No.234より)

  

2014年7月9日水曜日

「焼身自殺にピンとこない、じゅんびばっちりな自分に驚いた」

7年前に詩人の宮尾節子さんが書いた詩「明日戦争がはじまる」を転載して、こう(タイトルのように)ツイッターでつぶやいた人がいるという。先日触れた「新宿駅前で集団的自衛権行使容認に反対する演説をしていた男性が焼身自殺を図り重傷を負った」出来事についてのつぶやきだ。これをきっかけに、宮尾さんの詩がネット上でどんどんひろがったということだ。その詩とは−

明日戦争がはじまる

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる

この詩は書かれた当時連日のように流れていた自殺や虐待死のニュースに心を痛めてつくられたものだという。「戦争」ということばは不穏な空気への不安から出てきたものだということだが、いまやそれが現実味を帯びている。

いまだにそう思っていない人も多いだろう。が、どんな社会においても、一部の人間を除く大半の人は、戦争が起きるまで、その気配が自分で感じられるようになるまで、戦争の姿をイメージできずに生きていたというのが、ほんとうだろう。

焼身自殺のニュースの際も、その事実を最小限伝える記事は各メディアで掲載されたが、「驚いた」という目撃者の反応以外に、詳しい事情やその場にいた人々の思いに触れる記事はみていない。その事実の裏にはほんとうに「じゅんびばっちりな日本人」が無数にいる気がしてならない。

話は変わるが、メキシコでは麻薬カルテルが生首を路上に放置したり、死体を歩道橋からつるしたりする事件が頻発し、そんな写真が1面を飾るタブロイド紙が毎日のように街角に並ぶ町もある。ネットに流れているおびただしい数のこの手の写真をみた日本人は、とんでもない国だと怖れおののく。が、ある意味これも、すでに戦争状態にある社会と、「明日戦争がはじまる」とうたわれる社会の、命の軽さのちょっとした差でしかないのかもしれない・・・ そのくらいの危機感が今、私たちには必要だ。



2014年7月5日土曜日

軍隊が貧しい若者の行き先となる社会

昨日、フォトジャーナリストの柴田大輔さんが7ヶ月滞在した、コロンビアのアワ民族の村の話をきいた。柴田さんは、この村からエクアドルへ避難している人たちと知り合ったことをきっかけに、ここを訪ねる決意をしたという。長引く内戦のために、村で安全に暮らして行けなくなった大勢の人たちが、コロンビアから隣国エクアドルへ避難している。その数、13万人とか。アワの人々もその一部だ。

内戦は、政府とコロンビア革命軍(FARC)および国民解放軍(ELN)の間で、約半世紀も続いてきた。現在、政府とFARCはキューバを舞台に和平交渉をしているが、内戦がこれまでに国民の暮らしに落とした影は、暗く深い。

柴田さんが滞在した村でも、村人がゲリラと疑われ民兵や政府軍に連れ去られたり、殺されたりしている。ゲリラに入り、生きて帰って来なかった若者もいる。

写真とともに話をききながら、怒りとやるせない思いを抱いたのは、どこの国のどんな戦争、紛争、内戦においても、血を流すのはほとんどいつも、貧困層の若者たちだという事実についてだ。ゲリラにシンパシーを感じるアワの村人たちが、悪魔、と非難する政府軍の兵士たちは大抵、二十歳前後の若者だという。政府軍兵士をうつした写真には、軍服さえ着ていなければ、ガールフレンドとラップやレゲトン、サルサを踊っていそうな、あどけない顔の青年たちがならぶ。

その光景はかつて、メキシコ・チアパス州でサパティスタ民族解放軍(EZLN)を殲滅するためにジャングルの農村地帯に送り込まれたメキシコ政府軍兵士と、同じだ。ラテンアメリカの多くの国で、最前線で戦う平の兵士は、故郷ではまともな収入を得る手段を持たない若者。生活費と給金を保証された軍隊に入るしか、生きて行く術を持たない青年たちだ。政府の圧政や格差社会を変えるために武器を取ったゲリラ兵士たちの多くと彼らは、同じ境遇に置かれている。ちょっとした環境、状況の差で、敵味方になっている。

メキシコの麻薬戦争においても、同じような現象が起きている。マフィアの親分連中はともかく、末端で殺し屋や運び屋をやるメンバーは大半が、貧困層の若者。彼らと対峙する政府軍や警察の前線にいる者たちも同様。

米軍で戦場へ行く兵士も、メキシコなどから不法入国で来た若者たちの志願兵であるケースが増えている。任務を果せば、市民権を得られるからだ。普通に青春をエンジョイしている若者たちは、戦場へなど行きたくないから、軍隊に志願したりはしない。だから、貧しく追いつめられた若者を「市民権」というエサでつるのだ。

軍隊が、貧しい若者たちの就職先やよりどころとなるような社会に、真の平和は訪れない。戦争をしたがっているようにしか見えない某国の首相にも、そのことをしっかりと認識してほしい。戦場に行く自衛隊員が足りなくなったら、彼はどうするつもりなのか?就職難の若者たちに何か美味しいエサを与えて、自衛隊に入ってもらうのか?
そんな社会に平和はない。







2014年7月1日火曜日

「大丈夫です」と言わないで

集団的自衛権の行使容認に反対する国民の声は、日に日に高まっている。が、安倍政権は聞く耳を持たない。公明党も支持者の声を敢えて無視する選択をした。これが民主主義国家なのか? 3年前に経済危機と社会福祉・教育・医療保険を犠牲にした緊縮政策にあえぎ、怒るスペインの若者たちが叫んだ「もういい加減、新の民主主義を!」を、私たちも叫びたいものだ。

大やけどで即入院したため、どんな人なのかもわからないが、集団的自衛権行使に反対して新宿で焼身自殺をはかる人まででた。彼の真意はどうあれ、それほど深刻な状況に私たちは置かれているということは、確かだ。

安倍さんは今日もまた、心配ご無用、これが即戦争に巻き込まれるということを意味することはない、と、まあ平気でウソを語っているが、それで納得、大丈夫、と思った人がいたなら、ぜひ新聞やネット、あらゆるところで語られている「集団的自衛権の行使容認」のほんとうの中身をチェックしてほしい。全然大丈夫じゃないのだから。

数日前、官邸前での抗議行動で、ある女性が訴えていた。若い人たちにも、もっと関心を持って欲しい、と。彼女は渋谷の街頭で、集団的自衛権の行使容認に反対しようと呼びかけ、チラシを配ったりしているそうだが、その際、若い人に近づくと、何かする前にほとんどいつも「あ、大丈夫です」と逃げられると言う。「煩わしい事を避ける感じで」。

街頭で演説をしたり、ビラを配ったりする人々の中には、確かに怪しい、煩わしい人もいるし、避けたいこともある。が、何の話をしているのか、それはきちんと認識してから、避けるかどうか、考えるようにするべきではないか。若者だけではない。中高年でもそうだ。自分が生きている国の政治・社会問題を、他人事のようにみている人間が多すぎてはまずい。この「集団的自衛権行使容認に反対」は、私たち1人ひとりがちゃんと認識して考えるべき問題だ。避けて放っておいて、「大丈夫」ではない。

日本人はもともと曖昧表現の好きな国民ではあるが、この社会の未来に関わることを、根拠の無い「大丈夫」でスルーしていては、ほかの国の人々にこう言われるだろう、「あなた、大丈夫ですか?」と。

2014年6月25日水曜日

平和と繁栄のための行動

沖縄での「慰霊の日」に、安部首相は「沖縄の人々に刻みこまれた心の傷はあまりにも深い。常に思いを致し続けなければならない」と述べたという。ケネディ大使は「日米はこれからも世界の平和と繁栄のためにともに努力する」といった発言をした。

国家の論理で始める戦争によって殺し殺され、傷つく人々の心を知る人が、平和憲法を歪め、集団的自衛権の行使、つまり 戦争に参加しようと言うとは!まったく信じられない。
「自衛」という言葉に日本人は毎度騙されてきたが、今度の話は自衛どころか、国民の殺人と戦死をいとわない、という話だ。戦争では、なぜか殺人が奨励され、殺人被害者になることが国家のための奉仕とされる。そんなことを、再び、合法的に、可能に、しようと、安倍政権はたくらむ。ついには公明党までが、権力の座を離れたくないがゆえに、妥協に走った。

「同盟国」米国は、その愚行、陰謀を歓迎し、ぜひにと後押しする。彼らの論理で言うところの「平和と繁栄」のための行動は、武力行使。平和を壊し人々の生きる意欲、希望を抱く力を奪う武力行使が、繁栄をもたらすはずもない。だのに、米国は常に、ラテンアメリカで、中東で、世界各地で「平和と繁栄のために」と戦争を引き起こしてきた。おかげでメキシコでは、麻薬マフィアまでがそれに習い?、力=武力で人々を黙らせ、「繁栄」している。そして市民は、麻薬戦争のなかで怯え嘆き苦しみ、未来を奪われている。

ほんとうに戦争の道を進んだ過去を悔い、世界の平和と繁栄を願うならば、日本政府よ、国民の目をごまかして「平和」憲法をねじまげることを放棄せよ。と、言いたい。
みなさん、声を大にして言いましょう。今月、来月は、集団的自衛権行使容認に反対するアクションが、各地で数々ある。(例えば若者たちも動いた。→ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140622/k10015415851000.html)







2014年6月16日月曜日

世界を知る、ということ

思えばインターネットなるものが、わが人生に登場したのは、大学を出て、ずっと後のことだった。以来、海外情報を入手することは、格段に簡単になった。が、その分、真実を自分の目で確かめよう、確かめたい、確かめねば、という意識と意欲が、人々の間で、本来は冒険家であるはずの若者の間でも格段に薄れたと感じる。

今日発売になったわが新刊本の主人公たち、400年前の慶長遣欧使節のサムライたちは、それこそインターネットはおろか、テレビもラジオも世界のニュースを掲載する新聞や雑誌もないなか、主君に命じられたというだけの理由で、7年間も見知らぬ世界を旅した。
大和の時代からつながりが深かった朝鮮半島くらいしか、日本列島の外の世界を知らない彼らにとって、それはまさに大冒険。命じられなければ、考えもしなかったことだろう。しかもその旅は、いつ意図せずして終わるとも知れない、危険なもの。飛行機に乗って、時々乱気流に脅されながら次の目的地のことを想像してドキドキしながら進む、というような、のんきな旅ではなく、いつ命を落としてもおかしくない、苦しく長い道のりだった。
使命を託されたサムライたちは途中、使節の仲間を何人も失いながら、旅を続ける。そんな武者修行のような世界旅を追っていて、考えさせられた。
この者たち、ただ使命感だけで旅しているわけではないのでは? と。

辛い、苦しい、でも殿のため… だけでは、人間滅入ってしまう。 しかも彼らの旅先はラテン世界。日々を楽しむことを大切に生きる人たちの世界だ。7年もそんな環境に置かれて、その精神を学ばないはずはない。いや、自分なりに身につけ、使命をまっとうするためのタフなメンタリティを身につけたのではないか? そう思う。

世界を知る、ということは、実はそういうことだろう。他人が言うこと、映像でみせたこと、小さな紙や画面、モニターの中の”世界”は、誰かがその意思で切り取ったもので、私たち自身が出会ったものではない。いくら3D映像になったとしても、それは”バーチャル”ではあっても、ホンモノではない。

じゃあ現場へ行きさえすれば、知ることができるのか? いやそれも、どう触れどう向き合うかによるだろう。自分の意思とは関係のない形での出会い、経験があってこそ、人は本当の意味で、その世界を知ることができると思う。
パック旅行のように、”予定通り”が大半の旅体験は、概して真実を覆い隠す。悩むような経験の中からこそ、世界は語りかけてくる。

400年前、すでに東南アジアやアメリカ大陸、ヨーロッパにまで、商売のために旅したり、住み着いたりしている日本人がいた。あるいはキリシタン禁止令を受け、信仰のために移住した人たちも。そんな人々とサムライたちは、それぞれの立場で異文化世界を理解し、吸収し、サバイバルしていた。

彼らの思いを想像しながら、便利になったこの世の中で、しかし、400年前の旅に負けない驚きと真実を追い求めて、世界を知る旅を続けたいものだ。
そして若い人たちには、ぜひ、本当の世界を知る努力をしてほしい。それがあってこそ、格差しか生まないマネーゲームではない、本当のグローバル化、平等な世界は実現する。


























2014年6月13日金曜日

「家族」と「自分の道」がもたらす力

昨日、3時間をこえるドキュメンタリー「遺言 原発さえなければ」をみた。
画面で、語り合い、嘆き、怒り、笑い、励まし合う福島の酪農家たちの言葉や姿を、そこに居合わせ見聞きしているような気分で追いながら、いろいろなことを考えた。映画をみた、というよりも、目の前の人々に様々な問いや問題を投げかけられているような感覚で、過ごした.

放射能との闘いを強いられ、戦場にいるようだと語る女性は、亡くなった父親が戦争体験を話そうとしても聞く耳をもたなかったことを悔やんでいた。みえない危険、心を埋め尽くす恐怖を前に、父親が戦争をどう感じ、どう乗り越えて生きて来たのか、知っておけば良かったと思ったのだろうか。

妻子を異国に避難させ、ひとり家と牛を守る日々に絶望し、「原発さえなければ」という遺言を壁に書き残して、自ら死を選んだ弟の心境を考える姉たちは、一様に、一人でいたことが良くなかったと話した。福島で追い詰められてゆく被災者への支援を最優先にせず、ころころと首相を変えることに明け暮れる国会、政治家への怒りを口にした。

チェルノブイリのあとでさえ原発を使い続けた(そして使い続ける)人類とは、なんと愚かなんだという、酪農家のため息混じりの叫びが、再稼動を論じる人々の耳には届かないのか?

食卓に何本も並んだ栄養ドリンクの瓶が、笑顔で闘う人々が抱える底なしの疲労を物語る。

重荷を背負い、絶望感に押しつぶされそうになりながらも、夫は何とかこれからも酪農家の人生を切り開いていくのだという強い意志と使命感からだろう、冷静にあらゆる現状分析をし手段を見つけては、次々と手を打つ。そんな夫を支える妻も、「あんたが大事だから」と寄り添い続ける。夫婦で晩酌をする姿に、改めて、人はどんなモノよりも愛する人の支えと信頼によって生かされているのだと感じる。

生活のために他県の農場での仕事を提供され、働きに行った若手の酪農家も、サラリーマン形式のそこでの仕事が自分の目指す酪農とはちがうと感じ、おもしろくないからね、といった感想を述べながら、そのうち別の選択肢を探りたいと話す。
そんな彼とほかの若手&ベテラン酪農家たちが一緒になって、のちに県内でも放射能に汚染されていない土地に、新しい農場を開く。原発事故で多くを失ったうえに、新たな借金まで抱えての出発だが、酪農家たちの顔は思いの外、輝いてみえる。

見終えて一番強く感じたのは、ひとは(血縁の有無に関係なく)家族がそばにいて、どんな状況であれ自分が信じる道をもち、それを進む意志を持ち続けられれば、幸せになれるのではないか、ということだ。その可能性を持てない、奪われている人間は、幸せを感じられない、不幸になる。これまで自分が取材してきた路上の子どもたちや先住民ゲリラ、フィリピン台風被災者たち・・・らも、その点においては同じだと思う。

映画の最後に東京での講演会で、酪農家たちは「行動」の必要性を語る。私たちは悲劇を知る、語る、書くだけではだめなのだ。脱原発へ向けて、行動しなければ。
それは、私たち人間が、未来においても、家族とともにそれぞれ自分らしい道を探して歩んで行ける環境を守るために、必要なことなのだから。




2014年6月11日水曜日

さよなら、マルコス副司令官。ようこそ、民主主義

メキシコの先住民組織「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」が5月24日に出した声明文に、驚いた。(その内容については、現代企画室の太田さんのブログを参照していただければと思う。http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?cat=13)
私個人が驚いたのは、2度インタビューをしたことのあるEZLNスポークスパースン・マルコス副司令官が「存在しなくなる」と宣言されたことだ。むろん、マルコスを演じてきた「彼」が消えるわけではない、死んでしまったわけでもない。が、私たちがマルコスとして追いかけていた存在は、もうEZLNにいなくなるという。

現在、EZLNはチアパス州にある27の叛乱自治地区で先住民による自治を確立し、独自の政府、学校、病院などを運営している。そこには25万人以上の先住民が暮らしているという。その政治は、「従いつつ、統治する」という言葉に象徴されるように、少数の議員のみが議論し多数決でことを決めて、政府・役人が人々にその結果を押し付けるのではなく、人々ができるかぎり直接議論に参加し、決めたことを、いわば実施担当となった者がまわりの声を尊重しながら実行するというスタイルをとる。言ってみれば、先住民社会の伝統に根ざす直接民主主義的な要素の強い統治方式だ。

この先住民主体の運動が、真に先住民主体になった今、非先住民(マルコスは都市から来た白人系の混血)の副司令官はめでたく無用となった、ということだろう。
メキシコは、彼らが20年前に「もうたくさんだ」と叫び、貧しい先住民農民への「死の宣告」だと糾弾した北米自由貿易協定と新自由主義のもと、彼らの予想通り、貧乏人にとって過酷な格差社会になってしまったが、それにNoと言い、立ち向かう形で生まれた世界の市民運動は、EZLNが示す真の民主主義への道を模索しはじめている。
これからは、チアパス、メキシコの市民のみならず、世界の市民が、マルコス抜きで彼ら先住民の言動を注視し、どこかへ追いやられてしまった「民主主義」を、その手につかみとらなければならないということだろう。

現に、スペインの市民運動15Mでは、スローガンだけでなく、実践レベルで、サパティスタのような民主主義を採用、実践している。本来は自己主張のかたまりのようなスペイン人が、自分の暮らす地域で開く住民議会においても、きちんと発言順や時間を守って、みんなの意見をちゃんときき、みんなで決める、ピラミッド式の指導部などは持たない、といったことを、真面目にやっている。また、世界的にはほとんどニュースにならなくなったメキシコのサパティスタ運動への関心も高い。
米・オキュパイ運動の人たちも、考え方は15Mと同じだ。

マルコスは去ったが、代わりに民主主義が、世界のあちらこちらにポツポツと、姿をあらわそうとしている・・・



2014年6月10日火曜日

子どもの貧困が未来に落とす影

日本の子どもの6人に1人が貧困家庭に育っている。長い間、いや今でも恐らく大半の日本人は、この事実に対して、本気で危機感を抱いていないのではないか。だとすれば、それはこの子どもたちにとってはもちろん、社会の未来にとって、大問題だ。


メキシコでは、人口の45%強が貧困状態にあるといわれるが、少し前にユニセフとConsejo Nacional de Evaluación Política de Desarrollo(開発の政治的評価審議会)が出した報告書によると、18歳未満の子どもにおいては、53%強が貧困状態にあるという。つまり、おとなよりも子どもたちのほうが、貧困にさらされている度合いが高いということになる。この結果に対して、ユニセフの代表者は、「(半数を超える子どもたちが貧困状態に陥っていると言うことは)子どもたちは自分の可能性を十分にのばすことができる環境になく、私たちが平和で包容力のあるメキシコを実現するために必要としている子どもに、育つことができない」とコメントしている。

メキシコではここ何年もの間、麻薬マフィアによる組織犯罪と抗争が続き、8年間で8万人以上が殺されたと推測されている。殺し合いにリクルートされているのは、貧困層の若者たち。75000人前後が麻薬組織で働いていると言われる。ユニセフ代表者の言葉が示す、未来の危機がそこにある。

そんなメチャクチャな状況にありながらも、メキシコには相変わらず儲かっている(日本の金持ちなんかめじゃないホンマもんの)大金持ちがおり、人口の1%にも満たないその人々が、国の富の半分を手にしている。彼らの活躍のおかげで(!)、今後の経済見通しはそれなりによい。そして日本企業は今、北米・南米への輸出拠点として、メキシコにどんどん自動車工場をたてている。それが未来を担うべき子どもたちの暮らしを改善してくれるか? いや過去の経験からすれば、期待できない。
政府と企業を中心とする社会の権力者たちが、99.9999...%の市民と貧困に未来を奪われている子どもたちの権利の回復こそが国の最重要課題だと考えないかぎり、「平和で包容力のあるメキシコ」は実現しない。

そして日本においても、経済大国といわれながらも、なぜこれほど貧困に苦しめられる子どもがいるのか。メキシコ同様に経済成長は必ずしも皆に豊かさをもたらすわけではなく、多くの子どもたちにとってはむしろ逆の働きをしているという事実を、真剣に考えなければならない。

子どもの貧困は、格差の問題と深く関わっている。そして格差社会は(どこでも麻薬戦争を引き起こすわけではないとしても)、人の心を乱し、危うく不寛容な(包容力のない)世界をつくりだす。

2014年6月9日月曜日

社会に憤り、変革に関与する

2011年5月15日に誕生したスペインの市民運動「15M」の参加者のことを、マスコミはこう名付けた。「怒れる者たち=Indignados」。この言葉は、昨年95歳で亡くなったフランスのレジスタンスの闘士、ステファン・エセルが2010年に出版した冊子「Indignaos(怒れ、憤れ)」からきている。世の中の矛盾、問題を認識し、その理不尽さに憤ることが大切だと、若者に呼びかけた彼の文章は、欧州の批判精神にあふれる若者・おとなたちの心を揺さぶり、権力者のやり方にNoを突きつけ、自ら問題の分析と解決に動く市民を生み出した。

エセルは、「Indignaos」の後、政治・社会参加を呼びかける「Comprometeos(決意し関与せよ、といった意味)」という冊子も、フランスの若い作家で社会活動家の青年との対談の形で出版している。
つまり私たちは、問題をきちんと見つめ(関心を持ち)、分析し、それに憤りを感じることが大切であるとともに、その憤りを力に「行動する」、「自ら関与する」ことが必要だと、エセルは訴えているのだ。
原発問題、憲法9条問題、秘密保護法問題、集団的自衛権問題・・・日本人はいままさに、エセルの言う事を真面目に実行しなければとんでもなくまずい時を生きている。
個人的には、もう24年も取り組んできた「ストリートチルドレン」と(日本をふくむ)子どもたちの問題も、その背景にある世界的な「格差」の問題も、これまでよりもずっと大勢の人が意識し、解決に向けて行動する状況を創りだす努力をしなければ、ほんとうにまずいと感じている.
情報発信と共に行動することへの呼びかけを、いままでの何倍もおこなう努力をしなければ。それができる「場」を、もっと獲得する努力をしなければ。
そう感じて、個人と所属NGOのfacebookだけでなく、このブログも始めることにした。
この場をかりて、いまの世界の有り様にindignarseし、状況を変えていくために行動するとcomprometerse したいと思う。