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2014年10月16日木曜日

飲み二ケーションとアクションの人

スペイン取材中の今、突然、信じられない知らせをメールで受けた。24年前、ともにNGO「ストリートチルドレンを考える会」を立ち上げた相川民蔵さんが、急死されたという内容だった。まだ(と言っていいと思う)80歳。わが父よりも若く、つい数ヶ月前にお会いした際は、ご自宅でいつものように一緒に日本酒、ワイン、焼酎を飲みながら、うたい語り合ったばかりだった。正直、「信じられない」を通りこして、告別式に参加できないことをいいことに、信じないことにしようと思う。

思えば、私とパートナーの篠田有史が今、仕事とボランティアの両方でこうして「ストリートチルドレン」と関わり続けているのは、相川さんの一言がきっかけでのことだ。東京の路上に「浮浪児」と呼ばれる子どもたちが大勢いた時代、父親を戦争に奪われはしたが母親やきょうだいと暮らす自分と、その子どもたちの違いを衝撃をもって見つめた相川少年は、自らが60代になってからテレビで観た「第三世界のストリートチルドレン」の姿に、再び衝撃を受ける。世界にはいまだにこんな子どもたちが大勢いるのか!と。そんな相川さんが、当時、銀座のフォトサロンで写真展を開いていた篠田に、「ストリートチルドレンの取材をしてみないか」と話しかけたのが、すべての始まりだった。

この話、実は拙著「ストリートチルドレン」(岩波ジュニア新書)にも書いた。が、今改めて思い返すと、これがまさにいわゆる運命の出会いだった。その後、私は篠田とともに、学生時代からの「我が庭」であるメキシコシティを舞台に路上の子どもたちを追い始め、1993年には相川さんの提案で、NGO「ストリートチルドンを考える会」を立ち上げた。が、そのNGOがまさかこんなに長く続き、こんなに様々な仲間とつながるきっかけになるとは、思いもしなかった。

労働運動を担ってきた相川さんならではの発想で、「運動にしよう!」とNGO 活動を始めたわけだったが、何何運動というものとは基本的に縁のない世代の私は、「なんだか良く分からないけれど、記事や本を書くだけでなく、子どもたちのことを多くの人たちに知らせる様々な活動をするんだ!」という程度の認識で、会の活動を始めた。その会の発想とアクションの原点にいた相川さんの姿が、もうここにないとは、とても信じがたい。

相川さんとは、回数、お酒の分量ともに、よく飲んだ。相川さんは、いまや絶滅の危機にあるともいわれる「飲みニケーション」の人だった。私自身、学生時代から飲み会大好き人間であるため、ノンアルコール人間であるわがパートナーに疎まれつつも、誘われればいつも相川さんと共に飲んだくれた。私はそんな飲みニケーション男の相川さんが、好きだ。むろん飲み過ぎはよくないが、世代をこえて夢を語り合う場を大切にするその姿勢は、これからも見習い、ずっと大切にしていきたいと思う。

飲みニケーションの世代にも、ただ飲んで語ってハイおしまい、の人なら大勢いる。が、そこにあらゆる世代の人間を巻き込み、次のアクションを引き起こしていくエネルギーと情熱を示す人は、そういない。時代はマニュアル人間の増殖を促しているとも言われるが、相川さんのように、自らの思いからやるべきことを考え、それを実行することのできる人間を増やしていくためにも、私たちはその精神を忘れず、相川さんがそこにいると思い、飲み、語り、動いていきたい。

あたきたりに、ひとつの時代が終わった、などどは、到底言えない。時代は常に引き継がれ、進化し、より良い時代を創りだしていくのもだと、教えられたのだから。




2014年10月5日日曜日

加害者としての意識をもつ

メキシコ、ホンジュラスでの取材に追われるあまり、ずっとこのブログをさぼっていたが、今日は久々に書こうと思う。

今年の春、まだ寒い頃に、ステファン・エセルの言葉をモチーフにした映画の試写会で、高校生と大学生の少女4人と出会った。彼女たちは、「U-20デモ実行委員会」のメンバーだ。そのうちの一人から、先日、突然のメールをもらった。来年、高専の4年目にあたる年に、国費プログラムを使って海外のNGOでのボランティアと語学習得を組み合わせた留学を考えているという。ついては途上国のNGOで活動する方法を教えてほしい、とにかく電話で話がしたい、という内容。彼女は福島の原発事故被災地域に住む高校生だ。

無料であるうえ顔をみて話せるということで、スカイプを使って会話をした。彼女の関心は、エセルのメッセージにも現れている「グローバリゼーションがもたらした不公平や矛盾を、途上国で実際に見聞、体験したい」ということと、「スペインの市民運動15Mのようなクリエイティブな市民運動を直接感じたい」ということだった。高校時代の私自身に比べれば、ずっと社会意識が高く、感心させられる。

特に感心したのは、原発事故被害を生きる子どもである彼女が、途上国の現実を知らなければならないと考えた理由だ。いわく、「普段は、原発事故のせいで避難を余儀なくされたり、放射能の心配をしたりしなければならない"かわいそうな高校生"として、いろいろな所で話をしているんですけど、途上国のように、世界にはもっと不公平でかわいそうな状況の子どもたちがいるわけで、私たちはずっと恵まれた状況にいるのにそれを当たり前と思って暮らしているのだから、もっと現実をちゃんと知らないといけないと思うんです」。

そんな彼女に私は、若さを最大限に生かして世界の問題を体感するには、まず途上国と呼ばれる地域で理屈抜きの異文化体験、矛盾した世界を生きて感じることに、1年くらいかけてはどうだとろうかと、提案した。そして今、彼女はどうやらフィリピンのストリートチルドレン関係の現地NGOに行くことを考えているようだ。

被災地の子どもが、第三世界に対しては自分が加害者である可能性を意識した発言。私たちの豊かさの裏側に、ほかの人々の貧困がある現実に思いを馳せ、その現実を知らずに自分だけ被害者のような気になっていてはいけない、もっと世界を知らなければ、と考える姿勢。そこに、福島の、被災地の未来に対するほんとうの意味での希望を抱いた。

JICAの青年海外協力隊としてメキシコシティでストリートチルドレンを支援した経験を持つ若者で、福島で幼稚園を運営する知人も、彼の苦労を気遣う知人に「メキシコの子どもたちに比べれば、大したことはない」と言ったそうだ。子どもたち、若者たちにはぜひ、彼や彼女のような視点を持って、世界へ目を向け、願わくばその現場を自分の目で見て生きてみてほしい。そうすれば、辛く悲惨な出来事の被害者も、被害者であることにとどまることなく、新たな加害を阻止するための行動者となり、地域、国、世界の希望となるるからだ。

私たち日本人は、実は世界において、様々な面で多くの人々に対して加害者である場合が多い。それに気づき、行動することは、自分自身の未来にも希望と幸福をもたらす。自身も被害者でありながら、それに気づき、行動しはじめている福島の高校生を、ぜひ応援したい。