このブログを検索

2017年2月2日木曜日

「まなぶ喜び」を知る権利

いつの日からか、日本では、多くの子どもたちにとって、「まなぶ」ことがあまり楽しいものではなくなった。経済の競争原理が、学校教育にも持ち込まれたせいだろう。合理的に知識(データ?)を詰め込み、試験問題を正確に解く力が重視され、学ぶことの楽しさや喜びは、いつのまにか捨て去られたような感じすらある。そうなると、その学校制度に適応できない子は、よほど仲良しの友人でもいない限り、学校はつまらない場所になり、まなぶことは面倒で苦痛なものとしか映らない。適応できた子も、いい学校に入るといった目的を達してしまえば、頭につめこんだことを忘れてしまったり、詰め込んだ知識を人生で活かして楽しむことができない。そんな学びは、「人間のまなび」ではない。

昨日、試写でみた映画「まなぶ 通信制中学60年の空白を越えて」は、「人間のまなび」とは何かを、改めて考えさせるものだ。人間には、まなぶことの楽しさ、喜びを知る「権利」がある、と思う。それを持つか持たないかで、人生の豊かさが大きく変わるからだ。むろん、社会に貢献できる可能性も、変わる。

映画では、戦後、学校教育が新たな6・3制で始まった際、旧制度時代に中学教育を受けられないままだった人たちのためにつくられた「中学校通信教育課程」で学ぶ人たちを追う。始まった頃は当然若い人が多かったが、今回映画に出てくる生徒は皆、60代以上の高齢者だ。この制度は、あくまでも旧学校制度から新たな学校制度に移行した際に、新しい中学教育からこぼれ落ちた人たちのためであるため、その「世代」にしか適用されない。現在の子どもや若者、若い中高年は、対象外だ。おまけに、この学校自体が、日本中に、この映画の舞台である千代田区立神田一橋中学校、一校しかない(5科目限定のものが、大阪・天王寺に一校)。

そんな学校で、子どもの頃は様々な理由で中学に通うことができなかった60、70代の男女が、まなんでいる。苦労はするが、知らなかったことに気づき、気づきを楽しみ、知る喜びを感じ、まなんだことが自分の知っていることともつながって、人生が豊かになっていく。通信制なので、年に20回程度しか教室に来て、先生の前で同級生と机に向かうことはないが、通学のひとときも、そこで一緒にすごす仲間や教師との関わりも、生徒に新たな楽しみをもたらす。

難聴のせいで疎外感を味わい、ひきこもって生きてきた女性。貧困の中、世間に冷たい扱いを受け、人を信じることができなくなっていた男性。夫の世話に追われながら、自分らしく生きる場を見い出せなくなっていた女性。そんな人々が皆、教師や同級生と一緒に考えながらまなんでいく過程で、現役中高生のような友だちづくりや学校生活を楽しみ、より豊かな人間性を身につけていく。

それは単に、人生経験の豊富な高齢者だから起きたこと、というわけではない。教師たちが、知識の詰め込みや合理性を求める授業ではなく、一つひとつの知識に、一人ひとりの生徒がほんとうに触れて楽しみ、身につけていく喜びを大切にした授業をしているから、そして生徒たちの問題にも個別に親身になって向き合っているからこそ、可能になったのだ。

そんな学校教育が、全世代を対象に、全学校で行われていれば、日本人はもっと豊かな人生を歩めるだろう。貧しい国々でも、大勢の人が、たとえお金がなくとも、今よりずっと豊かに生きられるだろう。

この映画は、日本で、世界で、教育に携わる人たち、そして今教育を受けている子ども・若者たちに、ぜひみてほしい。

*この映画の公開は、3月25日。新宿K's cinemaにて、連日10:30モーニングロードショー。特別鑑賞券1000円発売中。

http://www.film-manabu.com