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2015年6月6日土曜日

政治は市民が変える 〜スペイン〜

ひと月以上このブログを更新する時間がとれないまま、4月20日にスペインへ飛んだ。来年頭に出版予定の本のための取材と、今雑誌「ワイナート」に連載中のワイナリー建築の取材(スペインワイン好きなんです!)、そして5月24日に行なわれたスペイン統一地方選の取材のためだ。

2011年5月15日、経済危機の元凶である大銀行には救いの手を差し伸べる一方で、そのつけを教育・医療保険などの社会福祉予算の削減によって市民に払わせようとする政府のやり方に、「もういい加減、真の民主主義を!」と叫ぶ人々の運動「15M」が生まれたスペイン。失業率20%以上という生活状況の中で、暮らしを何とか支え良くして行くには、もう既存の政党や政治家(屋)に頼ってはいられないと考えた市民は、その解決・対応策を自ら考え、実行することを始めた。そのなかで人々は、ひとつの結論を導き出した。「政治も自分たちが変えなければ」。そう、もはや「プロの政治家」=自分たちと資本家の利益ばかり優先する連中になど、任せていては駄目なのだ。

言うは易し。しかし、実際に政治に直接関わった事のない市民が、自ら政治の世界で変革を起こす事は、そう簡単なことではない。悲惨なほど低い投票率を誇る(!)日本の市民も、既存の政治家(屋)に期待していない点は同じだが、自分たちの希望や考えを実現するために行動するのではなく、行動しないことで不満を示すだけであるところが、スペインの人々と大きく異なる。今回の地方選において、今の政治を変えなければと考えるスペインの人たちの多くは、4年前の選挙時と異なり、こう決意した。「この政党・政治家には絶対に任せたくない、という相手が確実に落選するように投票しなければ」、「自分たちが良いと思う政策を実現できる人間を、自分たち自身が候補者にたてよう」。

それを可能にしたのは、15Mに始まる一連の市民運動が、政治に関心を持ち続けている20〜40代、専門分野は異なるが、社会の変革の必要性を積極的に感じている知識層に、市民政党Podemos(我々はできる、の意)を生む力を与えたことだ。マドリードのコンプルテンセ大の政治学の教授で複数のTV番組で政治コメンテーターもつとめ、若い頃から左派政治運動にも関わってきたパプロ・イグレシアス(37)が、15Mが求めるものを実現するために、2014年1月、仲間とともにPodemosを創設した。そして、15Mに参加した人々をはじめとする「変革」を求める市民に呼び掛けた。Podemosを通して、自分の考えを表明しよう、政策に反映しよう、自ら政治を創ろう、と。

Podemosの党員になるのは、簡単だ。インターネットでPodemosのサイトへ行き、住所氏名電話番号などとIDナンバーを登録してクリックするだけで、数分で完了する。お金はいらない。最も大切なのは、党サイトで提案される様々な政策議論に直接・間接(ネットを通して)的に参加し、自分の住む地域でPodemosのcirculoをつくって、仲間と共にPodemosの政策を議論し、活動を展開することだ。今回の地方選では、Podemosは資金(市民からのマイクロクレジットで賄った)と力を州選挙に集中させるために、市町村選をすべてcirculoに託した。各地域のcirculoのメンバーが自分たちでPodemos系政党・グループをつくり、候補者をたてて選挙に参加したのだ。

マドリードの郊外にある人口22000人ほどの町でも、私の友人たちとその仲間たちが、小さな小さな政党をつくり、自ら候補者となって、選挙に挑んだ。その結果、21議席中7議席をとった二大政党のひとつ、中道左派の社会労働党に次ぐ5議席を獲得した。比例代表制なので、得票数の割合によって、候補者リストの上から5人が当選したわけだ。当選者は---会計士で三児の母、ベテラン看護師、環境活動家、大学院生、有機農家。皆、政界のニューフェイス。

投票日の夜、開票がほぼ終わった時点で結果を知ったメンバーは、近くのバルで歓喜した。まさかこんなに議席がとれるとは!しかも与党だった国民党と同じ5議席で、第一党に返り咲いた社会労働党が連立を要請してくれば、政権に入るかも知れない! 社会労働党との連立には賛成・反対、両方の意見があるので、どうなるかわからないが、ほんの2か月前までは「普通の住民」だった若者、おじちゃん、おばちゃんが、圧倒的な宣伝力を持つ二大政党と互角の立場になったこと自体が、まさにミラクルだった。
「世界は"ここ"から変わるぞ!」
 当選したアラフォーの環境活動家、ホセマリーアはビール片手に天井に向かって人差し指を突き上げて、そう叫んだ。皆、自分たち自身も信じられないという様子。でも笑顔笑顔だ。
「人々はやはり今までの政治に嫌気が差しているんだ。だからポスターの数は少なくても、ちゃんと私たちをみていてくたれんだ」
 候補者リストには入らず、党のブレインをつとめた68歳の元労働組合リーダーのペペが言う。
 投票所の監視員をつとめ、リスト4番目で当選も果した大学院生のダニエルは、開票作業に立ち会っていたため、夜中の12時近くになってようやくバルに現れた。「今の気持ちは?」と尋ねると、
「疲れた〜〜〜!」
と満面の笑みを浮かべ、それからこう付け加えた。
「でも大満足さ!」

6月13日、全国で新たな議会が正式に形成される。過半数を取れなかった各党は、どこと共闘するかを話し合う、厳しい時間をいますごしている。が、それでも市民は変革へと突き進むだろう。11月、今度はいよいよ総選挙だ。




2015年2月2日月曜日

安倍政権の思うつぼにはまるな

イスラム国による人質殺害事件については、様々なメディアで様々なことが語られている。現場を取材していない身で、人質となった2人の思いや事件への日本政府の対応、イスラム国についてなどを論じることはしないでおこう。ただ、どうしても声を大にして言っておかなければと思うのは、これで安倍政権の言う「日本人を守るための自衛隊派遣」といった武装集団の海外派遣を「やはり必要だ」などと考える「あさはかさ」だけは持ってはいけない、ということだ。

安倍首相は、8月に湯川さん、10月末からは後藤さんが人質になっていることを知っていた。にもかかわらず、中東でイスラム国が敵視している国々の活動に(どんな形であれ)協力するという宣言をした。あのブッシュのごとく、「テロとの戦い」という言葉にこだわった発言を繰りかえした。そして、人質解放交渉の中でさえ、「しかしテロには屈しない」と言い続けた。必要だったのか?何のためにそうしたのだ?

それはあたかも、「これで人質を解放しなかったら、今度は武力だって用いるぞ、国民を守るには必要なんだから」とでも言いたいかのように、思えた。そう思えたのは、私だけではないだろう。そして、そのシナリオにのせられる人がいないとは言えないのが、今の日本だ。

安倍首相はさらに、イスラム国に償わせるといった発言をしている。何をするつもりなのだ?敵討ちか?時代錯誤も甚だしい。

集団的自衛権の行使容認についても、結局押し切られ、そんな独裁的な政権を再度「承認」したと言われる日本国民は、武力を否定し平和を築くために命を落とした人々の意思を無視して、武力行使を許す方向へ走るのか?

そんなことだけは、してはいけない。させてはいけない。



2015年1月14日水曜日

お金だけの問題ではない、「上」と「下」の違い

ある新聞の連載記事で、ある裕福な家庭の若者と養護施設育ちの貧しい若者の声を紹介していた。

社会の「上」に属する裕福な家庭に育った大学生は、社会貢献活動に熱心な貧困家庭出身の同級生と仲良くなり、ともに海外ボランティアをした経験から、貧困問題に関心を抱き、それに関わる将来、就職を考えるようになる。そして思う。そんなことを考えながらも、特に必要とはいえない洋服やバッグ、メイクにお金をかける自分は、まずそうした行動自体を改めるべきかも知れないと。同時に、自分を社会問題に目を向けるように導いてくれた友人が、職種を問わずにとにかく安定した収入のある就職を目指すと言うのをきいて、考える。彼女のほうが社会のことをずっとよく考えているし、行動する才能があるのに、何がやりたいかで職を選ぼうとできないのは、やはり経済的な制約のある環境で育ったせいだろうか、と。

社会の底辺、「下」にいる若者は、養護施設やそこからの就職先など、さまざまな場面で知り合った人たちに助けられながら、やりがいのある仕事に就き、多くはないがそれなりの収入を得て、順調に未来へと歩んでいる。が、まわりには、自分と同じように恵まれない子ども時代を送ったために、将来に夢を抱けない知人が大勢いる。そうした現実をみて、思う。ひとが「下」に居続けるか抜け出せるかの境目は、お金だけではなく、ひととのつながりの有無ではないか、と。

大学生の頃、メキシコの貧困層の研究を始め、スラムの友人たちと出会った私も、それ以来、考えるようになった。おしゃれのような、必ずしも必要ではない物にお金をかけることは、間違っているのではないか、と。そして徐々に服などにお金をかけることを控えるようになった。今じゃ、かけたくてもかけるお金がないが、それ自体も不自由だとは感じなくなった。そして思う。何かの時にほんとうに頼りになるのは、ひととのつながりだと。

「下」の若者が言うように、貧しい者をより悲惨な状況へと追い詰めるのは、お金がないという事実よりもむしろ、その状況から生み出されることの多い、まわりとのつながりの欠如だ。記事の若者は、本人の性格や周囲の環境もあってだろう、困った時にはいつも力になってくれる人が現れ、ひとのつながりが広がり、人生も開けていった。が、貧困層の若者の多くは、「お金があってなんぼ」の社会で、しだいに人付き合いを失い、ひととのつながりをなくし、その作り方も忘れてしまい孤立することで、ますます貧しさに追い込まれて行く。追い詰められると、思考は狭まり、問題解決の方法もみえなくなり、人生の選択肢も狭まる。

私たちは、「上」にいようが「下」にいようが、ひととのつながりによって生かされ、幸福に暮せるのだということを忘れずに、それを忘れそうな人をみつけたら、手を差しのべることのできる人間になりたいものだ。