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2017年11月7日火曜日

表現・言論の自由の重みを知る

地中海の島国マルタで、「パナマ文書」をもとに政府の疑惑を追及する記事をブログに書いていたジャーナリストのダフネ・カルアナガリチアさん(53)は、さる10月16日、車に爆弾が仕掛けられ殺害された。彼女は、政府閣僚や首相の妻が中米パナマに会社を置き、マルタにエネルギー輸出を図るアゼルバイジャンの大統領の家族の会社から大金を受け取ったことを暴いた。追い詰められた首相は今年6月、前倒し総選挙に踏み切り(どこかできいたような)、何とか過半数を確保して、再出発した。

この事件、9月から10月にかけて取材してきたメキシコのジャーナリストの状況に似ていることに、背筋が寒くなった。権力の悪事を暴こうとするジャーナリストは、ペンを折られる。だが、それ以上に私の関心をひいたのは、彼女が殺された後の市民の反応だ。

人口、わずか42万人の国で、約1万人の市民が首都周辺で2度、集会を開き、彼女の殺害と政府の対応に抗議する姿勢を示した。先月29日の集会では、老若男女、あらゆる参加者が彼女がブログに残した言葉、「我々は黙らない」の書かれたTシャツを着ていたという。治安が比較的よく、記者殺害事件など起きたことのなかった国で発生した、表現の自由を侵害する犯罪行為に、人々は大きな怒りを感じている。

この17年間に100人を超えるジャーナリストが殺害されているメキシコでも、勇気あるジャーナリストと彼らを支持する市民は、自分たちがよく知るジャーナリストが権力によって理不尽に抹殺されると、通りに出て声を上げる。社会から表現・言論の自由が奪われれば、権力によるファシズム支配が完成すると承知しているからだ。

この日本で今、もしも権力の絡んだ理不尽な現実の裏のからくりを暴こうとしていたジャーナリストが殺されたとしたら、市民はどう動くのだろう。何十万人もの抗議集会が開かれるだろうか・・・