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2017年6月4日日曜日

著者(私)自らが語る 『マラス』

※ラテンアメリカ・カリブ研究学会誌に掲載された記事を転載させていただきます。

『マラス 暴力に支配される少年たち』
(集英社 2016.11 工藤律子/著 篠田有史/写真)

 「マラス」という単語でネット検索をかけると現れる、スキンヘッドや顔面までタトゥーに覆われた、恐ろしげなギャングの若者たち。ネットに流れるそんなイメージと、私が実際に会い、話をしたギャング青年たちは、ある意味、まったく違っていたー
 ラテンアメリカの研究者ならば、恐らく誰もが、マラスという言葉とそれが指す集団の存在は知っているだろう。が、日本の一般メディアはその問題をほとんど報道しないうえ、各国のメディアが映し出す彼らの姿も、マラスのメンバーや彼らがいる地域がとんでもなく「特殊」であるかのようなイメージばかりを作り出している。そうやって、問題の本質や彼らが私たちの世界の一員であるという事実を、かき消している。
 ホンジュラスにはなぜ3万人を超えるギャングがいるのか、ラテンアメリカはなぜ世界一貧富の格差の激しい場所になっているのか。周囲にそう問いかければ、「そんなこと、私たちには直接の関係がない」という反応が返ってきそうな社会を前に、私はこの本を通して伝えたい。ラテンアメリカの子ども・若者たちの現実と、日本をはじめとする他の国々の同世代の現実は、深く結びついており、私たちはそこに浮かび上がる世界的な問題に、ともに取り組まねばならないということを。
 私にとって、学生時代に留学で出会ったメキシコをはじめとするラテンアメリカの国々は、慣れ親しんだ人々、「家族」や「友人」、「仲間」が暮らす場所だ。だから当然、その社会情勢やそこで深刻化している問題には、いつも特別な関心を抱いている。そんななか、最近感じるのは、日本で私の周りにいる知人たちが、この国の子どもや若者が抱える問題として憂えていることが、メキシコや中米で取材している問題と、あまりにも似ている、同じだということだ。
「自分に自信がない」、「居場所がない」、「希望がみえない」、「とりあえずお金がないとだめだと思う」、「おとなは信用できない」etc.
 日本で今、「不登校」など様々な形で「普通」の道すじから「外れた」とされる子どもや若者と接するおとなたちは、目の前にいる彼らの不安を、そんな言葉で表現する。それはまさに、家庭での虐待を逃れて路上にきた「ストリートチルドレン」と呼ばれる子どもたちや、マラスに入る少年たちの思いと重なる。
 『マラス』には、三人、ホンジュラスの元ギャングの若者が登場する。
 まず一人は、マラスがまだ中米に広がっていない時代に、大物ギャングとして名を馳せたアンジェロ。本の表紙を飾っている男だ。彼は、首都テグシガルパのスラムで育ち、そこにいくつもあった若者ギャング団に憧れ、力=暴力を用いてその頂点に立ち、何でも思い通りにできる金と権力を手にする。が、自動車強盗として襲った車の主が、銃を突きつけられてなお、静かに言い放った一言が、彼の心を揺さぶる。
「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」。
 アンジェロは、大金を叩いてボディガードを雇い、とことん武装していても、死への恐怖を消し去ることができずにいた。なのに、その男は丸腰で、死ぬことなど怖くない、と言ったのだ。そのことが伏線となり、彼はのちに刑務所の中で「変身」する。そして罪を犯した者たちを、まっとうな人生へ導くことをライフワークとするようになる。
 マラス世代のネリは、母親と自分たち子どもに暴力を振るう父親のいる家を離れたい一心で、地域の若者たちがこぞって参加していたギャング団、マラスの一つに入る。
「ギャングになってからは、兄貴分が食事や服、何でも与えてくれた。ストリートが家で、ギャング団が家族だったんだ。(中略)ほとんどの時間を仲間とすごした。ほかに居場所がみつからなかった」
 彼は、自分の心の癒しと問題解決をマラスに見出そうとするが、それは無理な話だった。そして敵に殺されそうになり、命からがら逃げ出した後に訪れた教会で、こう気づく。
「僕には愛が欠けていた」
 その後、マラスを抜け、教会でボランティア活動をしながら、まじめに働き、ギャング少年たちに、ラップミュージックを通して、暴力を離れて新たな人生を歩むよう呼びかけている。
 父親を殺したギャングに復讐しようと、敵対するマラスに入った少年、アンドレスは、「人をひとり殺せ」という命令にどうしても従えず、マラスを抜ける決意をする。そのために故郷を離れ、メキシコまで旅を続ける。二〇一三年頃から急増した米国への不法入国を試みる中米出身の子どもたち同様に、バスでグアテマラを横切り、川を渡ってメキシコに入り、米国へ向かう貨物列車の屋根に乗り・・・ 冒険の末、メキシコ移民局にたどり着く。運の良いことに、親切な警官の助言や難民支援委員会の配慮のおかげで難民認定を受けることができ、メキシコで合法的に暮らせるようになる。しかも、現地NGOの支援で職業訓練を受け、一流ホテルへの就職も果たした。
「幼馴染はほとんど死んでしまった・・・」
 メキシコで夢を持って生きることを知った少年は、過去を振り返り、こう語る。
「ギャングになれば、恐れられるようになる。それを、リスペクトされている、というふうに勘違いするんだ。人々が抱く恐怖心が、ギャングになった少年たちをいい気分にさせる。多くの少年は、リスペクトされる存在になりたくて、ギャングになるんだと思う」
 彼らのような若者たちに、別の生き方を見出してもらおうと奮闘するおとなたちには、信仰を糧に活動する者、NGOとして様々なプロジェクトを展開する者など、いろいろな人がいる。そして誰もが、大きなジレンマを抱え、時に無力感に襲われながらも、祖国の未来のために、暴力の闇に翻弄される子どもや若者と向き合い続けている。それは、おとなが関わり続けることで、信頼関係を築き、対話を繰り返していけば、子どもたちに変わるチャンスをつかんでもらえると、確信しているからだ。
 そんな確信を、より多くの子どもたちにとっての現実とするには、ギャングが支配する地域のおとなたちだけが、孤軍奮闘していてはだめだ。そう強く感じる。私たち皆が、それぞれの場で、自分が取り組んでいる課題と世界のつながりを考え、未来のために今、何をすべきかを、世界の人たちとともに真剣に考えなければ。
 一九八四年、二〇歳で出会ったラテンアメリカには、貧乏暮らしをしながらも、皆でそこから抜け出すぞ、という活気があった。人間同士のつながりが多くの問題を解決し、保険も蓄えもなくても、なぜか未来に希望を抱くことのできる世界が、そこには存在した。バブルへと突き進む日本社会で私が感じていた不安や違和感から解放してくれる、人間パワーと連帯感があった。それが徐々に薄れ、失われていき、マラスのような若者たちを生み出した原因は、ラテンアメリカだけにあるのではない。
 歪んだグローバル化がもたらした「現在」を様々な角度から分析し、新たな道筋を描くのは、私たち地球市民、全員の責務だろう。その責務を果たすための気づきの材料として、この本が役立つことを切に望む。



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