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2014年10月5日日曜日

加害者としての意識をもつ

メキシコ、ホンジュラスでの取材に追われるあまり、ずっとこのブログをさぼっていたが、今日は久々に書こうと思う。

今年の春、まだ寒い頃に、ステファン・エセルの言葉をモチーフにした映画の試写会で、高校生と大学生の少女4人と出会った。彼女たちは、「U-20デモ実行委員会」のメンバーだ。そのうちの一人から、先日、突然のメールをもらった。来年、高専の4年目にあたる年に、国費プログラムを使って海外のNGOでのボランティアと語学習得を組み合わせた留学を考えているという。ついては途上国のNGOで活動する方法を教えてほしい、とにかく電話で話がしたい、という内容。彼女は福島の原発事故被災地域に住む高校生だ。

無料であるうえ顔をみて話せるということで、スカイプを使って会話をした。彼女の関心は、エセルのメッセージにも現れている「グローバリゼーションがもたらした不公平や矛盾を、途上国で実際に見聞、体験したい」ということと、「スペインの市民運動15Mのようなクリエイティブな市民運動を直接感じたい」ということだった。高校時代の私自身に比べれば、ずっと社会意識が高く、感心させられる。

特に感心したのは、原発事故被害を生きる子どもである彼女が、途上国の現実を知らなければならないと考えた理由だ。いわく、「普段は、原発事故のせいで避難を余儀なくされたり、放射能の心配をしたりしなければならない"かわいそうな高校生"として、いろいろな所で話をしているんですけど、途上国のように、世界にはもっと不公平でかわいそうな状況の子どもたちがいるわけで、私たちはずっと恵まれた状況にいるのにそれを当たり前と思って暮らしているのだから、もっと現実をちゃんと知らないといけないと思うんです」。

そんな彼女に私は、若さを最大限に生かして世界の問題を体感するには、まず途上国と呼ばれる地域で理屈抜きの異文化体験、矛盾した世界を生きて感じることに、1年くらいかけてはどうだとろうかと、提案した。そして今、彼女はどうやらフィリピンのストリートチルドレン関係の現地NGOに行くことを考えているようだ。

被災地の子どもが、第三世界に対しては自分が加害者である可能性を意識した発言。私たちの豊かさの裏側に、ほかの人々の貧困がある現実に思いを馳せ、その現実を知らずに自分だけ被害者のような気になっていてはいけない、もっと世界を知らなければ、と考える姿勢。そこに、福島の、被災地の未来に対するほんとうの意味での希望を抱いた。

JICAの青年海外協力隊としてメキシコシティでストリートチルドレンを支援した経験を持つ若者で、福島で幼稚園を運営する知人も、彼の苦労を気遣う知人に「メキシコの子どもたちに比べれば、大したことはない」と言ったそうだ。子どもたち、若者たちにはぜひ、彼や彼女のような視点を持って、世界へ目を向け、願わくばその現場を自分の目で見て生きてみてほしい。そうすれば、辛く悲惨な出来事の被害者も、被害者であることにとどまることなく、新たな加害を阻止するための行動者となり、地域、国、世界の希望となるるからだ。

私たち日本人は、実は世界において、様々な面で多くの人々に対して加害者である場合が多い。それに気づき、行動することは、自分自身の未来にも希望と幸福をもたらす。自身も被害者でありながら、それに気づき、行動しはじめている福島の高校生を、ぜひ応援したい。




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