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2014年6月11日水曜日

さよなら、マルコス副司令官。ようこそ、民主主義

メキシコの先住民組織「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」が5月24日に出した声明文に、驚いた。(その内容については、現代企画室の太田さんのブログを参照していただければと思う。http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?cat=13)
私個人が驚いたのは、2度インタビューをしたことのあるEZLNスポークスパースン・マルコス副司令官が「存在しなくなる」と宣言されたことだ。むろん、マルコスを演じてきた「彼」が消えるわけではない、死んでしまったわけでもない。が、私たちがマルコスとして追いかけていた存在は、もうEZLNにいなくなるという。

現在、EZLNはチアパス州にある27の叛乱自治地区で先住民による自治を確立し、独自の政府、学校、病院などを運営している。そこには25万人以上の先住民が暮らしているという。その政治は、「従いつつ、統治する」という言葉に象徴されるように、少数の議員のみが議論し多数決でことを決めて、政府・役人が人々にその結果を押し付けるのではなく、人々ができるかぎり直接議論に参加し、決めたことを、いわば実施担当となった者がまわりの声を尊重しながら実行するというスタイルをとる。言ってみれば、先住民社会の伝統に根ざす直接民主主義的な要素の強い統治方式だ。

この先住民主体の運動が、真に先住民主体になった今、非先住民(マルコスは都市から来た白人系の混血)の副司令官はめでたく無用となった、ということだろう。
メキシコは、彼らが20年前に「もうたくさんだ」と叫び、貧しい先住民農民への「死の宣告」だと糾弾した北米自由貿易協定と新自由主義のもと、彼らの予想通り、貧乏人にとって過酷な格差社会になってしまったが、それにNoと言い、立ち向かう形で生まれた世界の市民運動は、EZLNが示す真の民主主義への道を模索しはじめている。
これからは、チアパス、メキシコの市民のみならず、世界の市民が、マルコス抜きで彼ら先住民の言動を注視し、どこかへ追いやられてしまった「民主主義」を、その手につかみとらなければならないということだろう。

現に、スペインの市民運動15Mでは、スローガンだけでなく、実践レベルで、サパティスタのような民主主義を採用、実践している。本来は自己主張のかたまりのようなスペイン人が、自分の暮らす地域で開く住民議会においても、きちんと発言順や時間を守って、みんなの意見をちゃんときき、みんなで決める、ピラミッド式の指導部などは持たない、といったことを、真面目にやっている。また、世界的にはほとんどニュースにならなくなったメキシコのサパティスタ運動への関心も高い。
米・オキュパイ運動の人たちも、考え方は15Mと同じだ。

マルコスは去ったが、代わりに民主主義が、世界のあちらこちらにポツポツと、姿をあらわそうとしている・・・



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