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2020年7月13日月曜日

奴隷制の記憶

「奴隷制の記憶は、決して消せはしない」
 黒く気高く光る顔をこちらに近づけ、老紳士は言い放った。彼は、キューバ革命成功ののち、地元である東部バラコーア県初の黒人国会議員になった人物だ。その祖先はアフリカから奴隷として連れてこられ、彼の祖父母の時代まで、奴隷として生きることを強いられた。だが、彼の父親は、小学校レベルまで勉強する機会を得て、その後は馬具職人となった。そして、子どもたちに十分な教育を受けさせることに専念。その結果、今や100歳に迫る長生き老紳士は、高等教育を受け、農業技師となり、革命政権下で国会議員をつとめた。
「無学であることほどの奴隷状態はない。それが祖母の口癖だった。私たちにとって、それは今でも大きな戒めだ。だから子どもたちには言い続けたんだ。『今学びなさい。万一、奴隷制が復活した時に、手足や指を奪われないように』と。幸い、キューバでそんなことが起きることはなさそうだけどね」
 米国でのBlack lives matterの運動を見ていて、彼のことを思い出した。米国では、かつて奴隷として連れてこられた人々の子孫である黒人が、今も手足や指だけでなく、命を奪われている。しかも、たとえ学があったとしても、その危険と不安は常に付きまとっているという。著名な学者でさえ、黒人であることで米国社会に気を許せないでいる。ニューヨークタイムズの記者が、そんなコラムを書いていた。これは、「黒人差別」という言葉だけで説明できることではないだろう。
 歴史が作り上げた差別意識。植え付けた偏見。それは、米国では黒人、日本では在日朝鮮人や部落出身者に対して、というように、民主主義社会になったはずの現代にも残っている。その差別と偏見を社会として全面的に否定し、平等の価値を共通認識とすること。それを可能にする社会制度と教育を築くことが、欠かせない。
 平等を掲げる社会主義キューバにおいても、差別が完全に消えたわけではない。が、その裏にある歴史の記憶ときちんと向き合い続け、間違いを正す努力を社会が続ける限り、人の命は尊重されるのではないだろうか。