tag:blogger.com,1999:blog-32031049961178745362024-03-01T14:40:12.535+09:00工藤律子のOTRO MUNDO ES POSIBLE もうひとつの世界 を目指すジャーナリスト・工藤律子が、ラテンアメリカ、スペイン、フィリピンを中心にした取材をもとに、現代世界の問題や目指すべき世界の姿を考える話をします。工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.comBlogger43125tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-59011031562862706382023-07-05T11:30:00.000+09:002023-07-05T11:30:22.150+09:00メキシコ・ストリートチルドレンと出会う旅2023 参加者あと1名、募集中!<p><span style="font-family: arial;">「 <span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">旅はすべての始まりです! 今、わたしたちと旅に出ませんか。」</span></span></p><p><span style="font-family: arial;"><span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">というキャッチフレーズで、今年も参加者募集しています。</span></span></p><p><span style="font-family: arial;"><span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">今年で27回目。よくもまあこれだけ長く続けてきたなぁと、われながら感心します。が、結局は、33年前、初めてメキシコシティの路上で出会った子どもたちと、彼らに寄り添うおとなたちとのつながりが、しぜんとそうさせているということでしょう。</span></span></p><p><span style="font-family: arial;"><span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">つながりの深い現地の仲間たちを通して出会う路上の子どもたちの世界は、初めて現場に立つ者に、かけがえのない大きな学びをもたらしてくれます。</span></span></p><p><span style="font-family: arial;"><span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">狭い世界に閉じこもりがちな今の日本人に、ぜひ経験してもらいたい旅です。</span></span></p><p><span style="font-family: arial;"><span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">ーーーー</span></span></p><p><span style="font-family: arial;"><span style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px;">※ 詳細は、主催旅行会社オルタナティブツアーのサイトから。</span></span></p><p> → <a href="https://alternative-tour.jp/archives/mex.html">https://alternative-tour.jp/archives/mex.html</a></p><div class="xdj266r x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs" style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px; margin: 0px; overflow-wrap: break-word;"><span style="font-family: arial;">路上の子どもたちや彼らを支えるNGO(非政府組織)を訪ね、あなた自身と世界の子どもたちの未来を考えるための、新たな視点を見つけましょう。<br />旅の案内役は、33年間、メキシコシティの路上の子ども・若者とつながり続けている、ジャーナリストの工藤律子とフォトジャーナリストの篠田有史です。</span></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s" style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px; margin: 0.5em 0px 0px; overflow-wrap: break-word;"><span style="font-family: arial;">●日程<br />9月1日(金)~9月12日(火) *9泊12日<br />(帰国便は9月11日午前0時40分に現地を出発、成田到着は12日午前6時20分予定)</span></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s" style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px; margin: 0.5em 0px 0px; overflow-wrap: break-word;"><span style="font-family: arial;">●旅行代金<br />2人1部屋利用で 262,000円 + 燃油サーチャージ(6月1日時点で37,800円)<br />(ホテルHotel El Salvador利用予定)<br />☆費用に含まれるもの/成田~メキシコシティの往復航空運賃(アエロメヒコ航空利用)と各空港施設使用料・空港税、宿泊費、朝食費8回分及び現地NGOでの昼食費7回分、現地でのグルー プ移動の交通費、通訳・案内の経費</span></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s" style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px; margin: 0.5em 0px 0px; overflow-wrap: break-word;"><span style="font-family: arial;">●旅の同行・案内<br />添乗員はいませんが、案内役の篠田と工藤が、メキシコシティ空港での出迎えから、帰国時の空港チェックインまで、 同行します。</span></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s" style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px; margin: 0.5em 0px 0px; overflow-wrap: break-word;"><span style="font-family: arial;">●訪問先(予定)<br />・NGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」<br /> 路上訪問と、路上暮らしの子どもたちが来るデイセンターでの活動に参加する。<br />・NGO 「カサ・アリアンサ・メヒコ」<br /> 路上から来た子どもたちや移民の子どもが暮らす施設のプログラムに参加する。<br />・NGO 「ジョリア」<br /> 路上暮らしを含む貧困家庭の少女や、地域の貧困家庭を支える施設の活動に参加する。<br />・NGO「オガーレス・プロビデンシア」<br /> 路上を脱して定住ホームに暮らし、自立を目指す子どもたちと交流する。<br />・NGO 「オリン・シワツィン」<br /> 旧市街に暮らす貧困層の女性や子ども、彼らを支援するNGOの保育園の人々を訪ねる。<br />・NGO「カウセ・シウダダーノ」<br /> 犯罪関与や薬物使用、路上生活に至るリスクの高い貧困層の子ども・若者に、非暴力や人権意識を育む機会やスキルアップのワークショップを提供する。</span></div><div class="x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs xtlvy1s" style="caret-color: rgb(228, 230, 235); font-size: 15px; margin: 0.5em 0px 0px; overflow-wrap: break-word;"><span style="font-family: arial;"><br /></span></div>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-89658813115117572172021-01-21T15:34:00.002+09:002021-01-21T15:43:29.122+09:00パンデミック下のメキシコで 5)保育園を守る女性たち<p> メキシコシティ旧市街の市場と露店街で有名なカンデラリア・メルセー地域で、彼女たちは保育園を続けている。公教育省の指示で現在、教育機関は全て休園・休校となっているが、この保育園は例外だ。</p><p>「休園中になかで片付けをしていると、園児たちの親が来て、『いつ再開してくれますか。子どもを預けられないと働けず、生活できないんです』と訴えてきたんです。彼らの大半は、露店商など、毎日働かなければ食べるにも困る貧困家庭です。そこで私たちは、保育を続けることにしました」</p><p> 代表のディアナ(48)はそう話す。彼女は実家が自動車修理工場を経営しており、「生活には困らないから」と、開園以来、ずっと無給でこの保育園を運営している。「支えを必要とする子どもや女性らに寄り添う仕事に夢中になっているうちに、結婚しないまま歳をとってしまったわ」と笑う。</p><p> 彼女とともに働く3人の保育士と調理係の女性も、それぞれメキシコ社会が抱える問題と向き合いながら、保育園を守っている。</p><p> 月曜から金曜までの毎日、30人余りの子どもたちの朝食と昼食を調理しているのは、ラウラ(40)。5歳から路上生活をしていた元ストリート少女だ。彼女は、生まれて間もなく他人の家に預けられ、そこで性的虐待を受けたために家を飛び出し、路上生活を始めた。その後、16歳で路上少年との子どもを妊娠し、シングルマザーとなる。貧困生活や薬物依存に苦しむが、母子支援施設で出会ったディアナに誘われ、この保育園で働くようになって以来、薬物をやめて、娘二人と安定した暮らしを営めるようになった。今は保育園の子どもたちが自分のような人生を送らなくてすむよう役に立てることを、誇りに感じている。</p><p> 保育士の中で一番若い、17歳のリッツィ先生は、ディアナらの助けで娼婦をやめ、新たな人生を手に入れた女性の娘だ。過酷な人生を送ってきた母親の変化を見ながら育ち、オンライン学校で補助教員の資格を得て、母や弟妹が世話になった保育園の保育士になった。</p><p> ベレニーセ先生(37)は、以前は午後2時すぎには終わる普通の保育園で働いていたが、ディアナの呼びかけに応えて、ここで働くようになった。自身も貧困家庭の出身で、保育園のすぐ近くに住んでいる分、園児たちの気持ちや親の事情をよく理解しているから、この仕事を引き受け、のめり込んでいる。</p><p> 保育士のまとめ役であるマリベル先生(51)は、高等専門学校でコミュニティ・エデュケーターの資格を取り、夫とともに先住民コミュニティ支援をしてきた。そのスキルを活かし、ディアナの右腕として活躍している。パンデミックのせいで、保育園の運営資金が足りなくなった際は、彼女と夫がメキシコシティ政府が提供している補助金に申請し、支給されたお金を保育園のために使った。</p><p> 彼女ら5人が力を合わせ、たとえピンチに陥っても悲観的にならず、あの手この手で問題を解決していくおかげで、子どもたちは、1日中、親が露店商売をしている路上で過ごすことも、家でお腹をすかせて待つこともなく、安心して日々を過ごしている。</p><p> 深刻なコロナ感染拡大の続くメキシコシティに生きる、強く、優しく、ラテン的楽観主義を身につけた女性たちの活躍に、大いに励まされる。</p><p><br /></p>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-34113085524019090192021-01-16T19:19:00.003+09:002021-01-16T19:21:06.944+09:00パンデミック下のメキシコで 4)新しい施設、古い絆<p><span style="font-family: times;">「そちらから施設に来るには、街の端から端まで移動しなければならないので、この時期(メキシコシティは感染拡大状況が一番深刻な「赤信号」ステージに入っていた)に来てもらうのはリスクが高く、申し訳ない。またの機会で結構です」</span></p><p><span style="font-family: times;"> 寄付を届ける約束をしていた日の数日前、広報担当の女性から、そんなメールが来た。その前日、メキシコシティが赤信号に入ったからだ。しかし、私たちは「二重マスクとアルコール消毒!」で取材を続けていたうえ、2020年に遂に引越しを完了したという新しい施設がどんな所なのか知りたいし、古くからの知り合いであるスタッフの顔が見たいと思っていたため、訪問にこだわった。そして、何とか叶うことに。</span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> 当日は、比較的すいているバス一本で、あと1キロちょっとという所まで行き、約束の時間が迫っていたので、タクシーに乗った。Google Mapで見ながら走ると、タクシーの運転手が、「ここじゃないですか?」と、豪邸の正面玄関のように大きく立派な門の前で車をとめる。降りて、受付に訪問目的を告げると、扉が開かれた。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> こちらも「オガーレス・プロビデンシア」の事務所入り口同様に、手のアルコール消毒、検温、脈拍数&血中酸素量の測定、そして全身に霧のような(次亜塩素酸?)除菌剤を吹き付けるという念入りな感染予防策が取られている。すべてクリアすると、メールを送ってきた若い女性、カルラが迎えにきた。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;">「ようこそ!」</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> 彼女が出てきた建物は、門からかなり先にある。入ってすぐのスペースはコンクリート敷の広場で、明るい日差しのもと、いくつか丸テーブルと椅子が置かれている。そのひとつでは、カウンセラーらしきスタッフが子どもと話をしていた。広場の奥には、丸い中庭を中心に半円形の3階建て建物がふたつ、左右に建っている。手前部分が事務所で、奥が子どもたちが生活するスペースだという。しゃれた美術館か図書館のような建物は、予想以上に立派なものだった。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> この新施設は、2010年に都心にあった施設が火事で一部焼失して以来、ずっと建設を計画していたものだ。私たちの会も、火事の直後に再建のための寄付を送った。それから少しずつ資金を集めて実現にこぎつけたわけだ。だが、建物自体はもう2年前には完成していたにもかかわらず、実際に利用を始めるのが2020年になったのは、地元の役所が、オープンに必要な書類手続きをなかなか進めてくれなかったせいだという。賄賂を払えばすぐにしてやると言われたが、代表のソフィーアが断固拒否したため、今になってしまったというわけだ。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> カルラの案内で、まずはスポーツジムやパソコンルームなど、様々な財団の寄付でつくられた特別な部屋を見て回る。その後、中庭から子どもたちが住んでいるスペースへ。門から見て右手にある建物には少女たち、左手にある建物には少年たちが暮らす。今回は、子どもたちと直接は接触できない規則だったので、半円形の施設に沿って中庭をぐるりと歩く。すると、3階建の施設の1階に住む子どもたちが、窓から私たちの姿を見つけて手を振ってくれた。なかには、「リツーコ!」と私の名前を叫ぶ子も。8月にオンライン交流をした時の参加メンバーや、2019年にスタディツアーで訪れた時からこの施設に暮らす子どもたちだろう。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> それからさらに、調理室と事務所へ。そこにはもう20年以上前から知るスタッフが待ち受けており、私たちの顔を見るなり、「よくきてくれたわね!今年会えるとは思いもしなかった!」と、マスク越しの笑顔を見せてくれた。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> 最後に会ったのは、一番の古株で互いにずっと若い頃から知っている、プログラムディレクターのアレハンドロだ。彼は一時、この団体を離れていたが、やはり「ここが居場所」と思ったのか、1年半くらい前に復帰した。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;">「こんな時にも、いつものように顔をあわせることができて、うれしいよ」</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> 8月にオンラインで会った時と異なり、マスク付きとはいえ目の前で話ができたことに、互いに笑みがこぼれる。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="-webkit-font-kerning: none; font-kerning: none;"><span style="font-family: times;"> このあと、会からの緊急支援金をカルラに渡し、領収書と子どもたちが作ったクリスマスカードや絵をプレゼントされてから、2時間を超える訪問を終えて帰路に着いた。この日、新しい素敵な施設で再確認した古い絆は、パンデミックが去った後も、ずっと大切にし続けたい。</span></span></p>
<p style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-stretch: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></p>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-57610662184368554032021-01-12T18:05:00.000+09:002021-01-12T18:05:05.516+09:00パンデミック下のメキシコで 3)ストリートエデュケーターと<p> メキシコシティの路上を巡り、そこに暮らす子どもや若者たちの声に耳を傾け、彼らが路上生活を抜け出す支えとなってきたダビッは、NGOの「ストリートエデュケーター」。所属するNGOは変われど、約18年間、その活動を続けている。その彼と、2020年12月はじめ、メキシコシシティの中心部にある地下鉄イダルゴ駅の近くで待ち合わせた。</p><p>「もう2ヶ月くらい、直接は会っていないんだ」</p><p> パンデミック以前は、毎週のように訪ねていた路上の友人たちとは今、SNSでやりとりをしていて、体調が悪いなど、直接会う必要性が高い時しか、顔を合わせていないという。</p><p>「彼らが新型コロナに感染している可能性があるから、というよりも、混み合う地下鉄やバスに乗ってここまで来る僕たちストリートエデュケーターが、彼らを感染させる危険の方が高いからだ。僕たちにとっても、公共交通機関での通勤が一番の不安なので、NGOとしては基本的にストリートエデュケーションを普段通りに続けることは、許可していないしね」</p><p>とはいえ、ダビッは、どうしても必要と考えれば、地下鉄などの混み具合をみながら、子どもたちが暮らす場所へと駆けつける。この日は、私たちのリクエストに応えて、都心のいつも行く場所を一ヶ所、ともに訪ねた。</p><p>「僕の印象では、路上生活を続けている彼らの間では、コロナ感染はあまり広がっていないようだ。おそらく、いつも同じ集団で野外にいて、他の人間との接触は少ないし、今は彼らがいる裏通りなどの人通りも少ないからだろう」</p><p>歩きながら、そんな話をしてくれる。</p><p>最初に会った少女は、マスクをして、通り沿いの壁にもたれかかって座っていた。「久しぶり!」と、ダビッと互いに挨拶をすると、近くにいたパートナーの青年も寄ってきた。彼はマスクをしていないのを見て、ダビッが「君だけがマスクをしているんだね!」と少女に微笑みかけると、青年は慌ててズボンのポケットから布マスクを取り出してつける。</p><p>立ち話をしている私たちのところへ、何人かの若者が挨拶に来て、ダビッの訪問を喜ぶ。ダビッは雑談をしながら、彼らにマスクを配る。世間から白い目で見られ、大抵は親や家族からも見放されている彼らにとって、ダビッはいざという時に頼れる兄貴かオジのようなものだ。</p><p>彼らの多くは、このまま路上生活を続ける可能性が高いが、ダビッは決して彼らを見捨てはしない。</p><p>「そういえば、先週、〇〇に会ったよ。すっかり美人になって、頑張っているよ」</p><p> 話しかけてくる若者たちに、スマホを取り出し、路上生活を抜け出して薬物依存克服プログラムに入り、新たな人生を歩もうとしている仲間の少女の写真を見せる。すると、青年の一人が、「よかった!俺からのビデオメッセージを送ってくれよ」と言って、ダビッのスマホに向かって語りかけた。</p><p>「君が元気になって、嬉しいよ。僕たちは大丈夫だから、ぜひこのまま頑張って、いい人生を歩んでくれ。二度と、ここへ戻ってきちゃダメだよ」</p><p>ダビッによると、このあたりにいる子ども・若者たちの間では、最近、クリスタルと呼ばれる覚せい剤の一種が広まっているそうだ。販売と消費、両方に関わる者もいるという。あらゆる辛い記憶や日々の体験を忘れ、路上生活を続けていくために薬物を使うことを覚えた子ども・若者は、それで日銭も稼ぐようになり、依存から抜けられなくなる。30年前、ストリートエデュケーターは、そうなる前に路上を脱出させることを目標に活動していたが、今では状況がより厳しくなった。それでも100パーセント不可能ではない。ダビッはそう信じているのだろう。</p><p>路上訪問の後、私たちは、ダビッと彼の同僚ストリートエデュケーターを伴い、自転車を二台、買いに行った。「自転車があれば、コロナ禍でも、バスや地下鉄を使わずに、できるだけ多くの子どもたちの元へ行ける」というダビッたちからの要望を受けて、私たちがボランティアで運営する「ストリートチルドレンを考える会」が寄付することにしたからだ。</p><p>「好調だよ」</p><p>2021年早々、自転車とダビッと子どもたちが写った写真が、SNSで送られてきた。自転車に乗ったストリートエデュケーターが、パンデミック下、彼らの訪問を待つ子どもや若者の元へと走る。</p>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-84795488270478732982021-01-08T19:53:00.004+09:002021-01-08T19:53:58.509+09:00パンデミック下のメキシコで 2)施設の子どもたちを守る<p>呼び鈴を押す。しばらくして扉が開き、玄関先スペースに入ると、そこにはプールのシャワーのような機器が置かれている。 </p><p>「そのパイプの下に立って、横のボタンを押してください」</p><p>と、出迎えてくれた青年が促す。言われた通りにすると、頭の上から消毒液らしきものが降り注ぐ。そのあと、待合室に進むと、今度は手の消毒液と体温計、脈拍数&血中酸素量の測定機器が置かれている。全部クリアして、オフィスの中をのぞくと、そこにマリオと妻で心理士のメイリンが待っていた。</p><p>ここは、メキシコシティにおけるストリートチルドレン支援NGOの老舗的存在であるHogares Providenciaのオフィス兼教育、カウンセリング、乳幼児支援施設だ。今、そのプログラム全体のディレクターであるマリオとは、もう20年以上の付き合い。毎年、私たちが実施しているスタディツアーでは、彼らが運営する施設で暮らす元ストリートチルドレンの子どもたちを訪ね、土曜日には一緒にピクニックに行って、メキシコ対日本でサッカーの試合をするのが恒例となっている。</p><p>なかなかしっかりとした感染対策をとっているのね、と感心すると、マリオが、</p><p>「君たちは特別にこれでクリアとするけど、スタッフやボランティアは、さらに二階でシャワーを浴びて、持ってきた清潔な服に着替えてからでないと、子どもたちのところへは行けないんだよ」</p><p>まさに、「徹底的」。</p><p>そうやっているから、Hogares Providenciaの施設で暮らす1歳から19歳までの92人の子どもたちの中からは、まだ感染者が一人も出ていない。メキシコシティ政府と保健省の支援で、これまでに2回、全員のPCR検査も実施した。</p><p>「予防策を徹底するために、最初は外部からのボランティアの受け入れも停止していたんだ。でも、それが長く続くと、子どもたちはコロナで病気にならなくても、心の病になることが明らかだった。だから、こうした対策をとりながら、人を受け入れているんだ。人と触れ合うことは、子どもの成長にとって大切だからね」</p><p>と、マリオ。メイリンが、</p><p>「心理カウンセリングも、オンラインはあり得ないので、対面でやっているわ」</p><p>と付け加える。</p><p>私たちは、仲間とボランティアで運営する「ストリートチルドレンを考える会」からの寄付を手渡し、クリスマスの夜に日本の仲間たちと施設をzoomでつないでオンライン交流会をする計画を話し合った。WiFi環境がいい女子定住ホームに20人ほどを集めて実施することに。当日は、開始1時間前に、この事務所で落ち合うことにする。</p><p>「何時に来てもらってもいいよ。僕たちはここに住んでいるから」</p><p> マリオがそう微笑む。「えっ、(メキシコシティに隣接する)メキシコ州に住んでいるんじゃなかったの?」と目を丸くする私に、彼らは一言、</p><p>「ここにいる方が、通勤の必要もないし、安心だからね」</p>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-38275393098357192782021-01-07T19:43:00.000+09:002021-01-07T19:46:02.180+09:00パンデミック下のメキシコで 1)露店商<p> メキシコシティは、12月半ばから、「赤信号」。食料品店やスーパーなどの必要不可欠な事業以外は、皆、休業となり、飲食店もテイクアウトとデリバリーのみとなった。お昼時に外出している場合は、コンビニやファストフード店、屋台などで買ったものを、立ち食いするか、どこかベンチを探して食べるしかない。そこでも消毒が必要だし、外出時はマスクだけでなく、アルコールや除菌用ティッシュなどが手放せない。</p><p>それでも人通りの少ない住宅街や裏通りを歩いていると、時折、普通にテーブルで数名が食事をしている食堂や、屋台の前に置かれた椅子に腰掛けてタコスを頬張る人を見かける。商売をする側にとってみれば、その場で食べたい客に応じるのが、売り上げを確保するのに不可欠だという話だろう。</p><p>旧市街に近い露店街や衣料品店街、ソカロ(憲法広場)の周辺に出る露店では、食べ物、衣料、スニーカー、電化製品、スポーツ用品、なんでも販売が続いている。彼らは、1日店を休めば、子どもに食べさせるものすら買えなくなるからだ。</p><p>露店街に近い広場の片隅にある保育園の取材をしていた私と篠田(わがパートナー)は、その様子を観察しながら歩いていた。すると、急に正面から、道端で売っていた商品を包んだ風呂敷状のビニールを抱えて走ってくる人たちが。それを見た露店商も、慌てて店をたたみ、通り沿いに立つアパートの中へと消えていく。衣料品店も、シャッターを降ろし始める。しばらくして、警察が遠ざかったことを確認すると、また商品を持ち出しはじめた。</p><p>さらに進むと、こちらはのんびり商売が続いている。そこで、篠田がその風景をビデオで撮影し始めた。と、突然、トランシーバーを持った男がひとり、背後から駆け寄り、篠田の肩を掴んで「撮影はダメだ」と言いながら、顔を覗き込む。</p><p>「あ、ごめん!」。相手が外国人だと知った途端、丁寧に謝り去っていった。</p><p>男は、このあたりの露店で商売をする者たちのグループのメンバーで、警察の取り締まりが来たら、さっと店を撤収できるように知らせる連絡係だ。篠田を警察の手先だと勘違いしたのだろう。</p><p>コロナが来ようが、なにが来ようが、売らなきゃ食べられない都会の露店商たちは、あの手この手で抜け道を考え、商売を続ける。田舎と違って、食料だけは自分の畑で確保しよう、なんてことはできないからだ。</p><p>政府による休業補償も、役人や政党、地域を仕切る元締めにコネがないと、給付対象リストにすら、入ることができないという。コネがあっても、大抵は「お金(賄賂)」がかかる。</p><p>「だから、商売をやめるわけにはいかないのよ。病気に苦しむ前に、飢えに苦しむ羽目になるから」</p><p>露店商の子どもたちを預かる保育園を運営する友人は、そうため息をつく。</p><p><br /></p>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-86981536215822475762020-08-20T16:35:00.027+09:002020-08-20T16:46:58.316+09:00怒れる者、隷属を拒絶する者<p> 朝日新聞に、政治学者の豊永郁子氏が、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の有名な「民衆の歌」の日本語歌詞には、オリジナルの歌における重要な言葉、「怒れる者たち」と「2度と奴隷にならない」という言葉がない、と書いていた。ただ漠然と「自由のために戦う」という感じになっているというのだ。</p><p>「奴隷」と言われてもピンとかないから、ということか? その疑問から、再び Black lives matter 運動に対する日本人の反応が頭をよぎった。これは人種差別問題だから、日本人にはあまり関係ない。そういう感覚から来ると思われる反応の鈍さに、改めて危機感を覚える。</p><p>なぜなら、この運動は、社会において誰かや何かに怯え、虐げられ、隷属させられることに対する抗議だからだ。それでも「奴隷制を知らないから、わからない」と言うのなら、まず奴隷制や、その下で生きることを強いられた人々とその子孫が、社会でどういう状況に置かれてきたのかということを、きちんと知るべきだ。そして、彼らが感じていることを理解しようとするべきだ。そうすれば気づくだろう。「2度と奴隷にならない」ということは、足に鎖をつけられたり、鞭打たれて働かされたり、蔑視されたりすることはもうゴメンだ、というだけの意味ではなく、誰かや何かに隷属することを拒絶する、ということだと。</p><p>それは、人間としての権利と自由を奪うものに対して、心底怒れる者たちの闘いだ。この「怒れる者たち」という言葉は、2011年5月15日にスペインで起きた市民運動、通称「15M」運動においても、使われた。そこに参加した市民を、メディアがそう呼んだのだ。その表現は、レ・ミゼラブルを生んだフランスの元外交官ステファン・エセル(2013年没)が書き、15Mに参加した人々に大きな影響を与えた小冊子『怒れ、憤れ』から引用されている。エセルと15M参加者たちは、まさに新自由主義的グローバル化に基づく政治・経済システムが`市民の様々な権利を奪っていることに怒り、システムや「時代の流れ」とやらに隷属することなく、自分たちの権利をきちんと守るために立ち上がった。</p><p>私たち日本人の大半は、国民に嘘をつき、支離滅裂なコロナ対策しか打たない政府に対して、さして怒らない、闘わない。仕方ないと諦め、現状に隷属する。そんな国のありようを見た(わが父を含む)戦争体験者の多くが、今「まるで戦時中のようだ」と憂えるのも、当然のことだろう。「2度と戦争を繰り返さない」というのなら、戦時中のような国のあり方や社会の流れに、怒りを抱き、隷属しないこと。それが大切であるはずだ。</p>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-82142640950843066512020-07-13T19:26:00.001+09:002020-07-13T20:29:17.069+09:00奴隷制の記憶「奴隷制の記憶は、決して消せはしない」<div> 黒く気高く光る顔をこちらに近づけ、老紳士は言い放った。彼は、キューバ革命成功ののち、地元である東部バラコーア県初の黒人国会議員になった人物だ。その祖先はアフリカから奴隷として連れてこられ、彼の祖父母の時代まで、奴隷として生きることを強いられた。だが、彼の父親は、小学校レベルまで勉強する機会を得て、その後は馬具職人となった。そして、子どもたちに十分な教育を受けさせることに専念。その結果、今や100歳に迫る長生き老紳士は、高等教育を受け、農業技師となり、革命政権下で国会議員をつとめた。</div><div>「無学であることほどの奴隷状態はない。それが祖母の口癖だった。私たちにとって、それは今でも大きな戒めだ。だから子どもたちには言い続けたんだ。『今学びなさい。万一、奴隷制が復活した時に、手足や指を奪われないように』と。幸い、キューバでそんなことが起きることはなさそうだけどね」</div><div> 米国でのBlack lives matterの運動を見ていて、彼のことを思い出した。米国では、かつて奴隷として連れてこられた人々の子孫である黒人が、今も手足や指だけでなく、命を奪われている。しかも、たとえ学があったとしても、その危険と不安は常に付きまとっているという。著名な学者でさえ、黒人であることで米国社会に気を許せないでいる。ニューヨークタイムズの記者が、そんなコラムを書いていた。これは、「黒人差別」という言葉だけで説明できることではないだろう。</div><div> 歴史が作り上げた差別意識。植え付けた偏見。それは、米国では黒人、日本では在日朝鮮人や部落出身者に対して、というように、民主主義社会になったはずの現代にも残っている。その差別と偏見を社会として全面的に否定し、平等の価値を共通認識とすること。それを可能にする社会制度と教育を築くことが、欠かせない。</div><div> 平等を掲げる社会主義キューバにおいても、差別が完全に消えたわけではない。が、その裏にある歴史の記憶ときちんと向き合い続け、間違いを正す努力を社会が続ける限り、人の命は尊重されるのではないだろうか。</div><div><br /></div><div> </div>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-20698476602406676022020-06-28T14:44:00.002+09:002020-06-28T14:44:56.989+09:00つながる子どもたち ( Mexicoより)仲間たちとボランティアで運営する「ストリートチルドレンを考える会」が応援している、メキシコシティのストリートチルドレン支援NGOに、Casa Alianza México がある。私とパートナー(フォトジャーナリスト)の篠田は、もう30年ほどつながりを保っている仲間だ。そんな彼らが、このコロナ危機下で「初めて始めた」ことがある。5カ国の子どもたちをつないだオンライン・アクティビティだ。<div><br /></div><div>Casa Alianza は、米国ニューヨークに本部を置く国際NGOで、英語ではCovenant Houseという。そのメキシコ・中米版が、Casa Alianzaだ。現在、ニューヨークとメキシコシティ、グアテマラシティ、テグシガルパ(ホンジュラス)、マナグア(ニカラグア)に拠点を持ち、路上生活をしている・していた子どもたちへの支援活動を展開する。子どもが、路上生活を抜け出し、大人になって自立するまでの生活を支える定住施設を持つ。その定住施設「グループホーム」に暮らす子どもたちは皆、現在コロナ問題のために外出自粛中だ。過去に受けた暴力や虐待の体験、薬物依存などから、もともと精神的に不安定な状態にいる彼らが、狭い空間での共同生活を長く続けることは、喧嘩や鬱状態など、多くの問題を生む。</div><div><br /></div><div>そんな陰鬱な空気を打ち破り、子どもたちが安心して困難を乗り切れるよう、グループホームのスタッフは、あの手この手で彼らの気を紛らわし、前向きになれるようなアクティビティを考えているという。そんななか浮上したのが、「5カ国のグループホームをオンラインでつないで、互いのことを発表したり、コンテストをやったりする」というアイディアだ。メキシコのスタッフが提案した。</div><div><br /></div><div>第一回は、それぞれが暮らす「ホーム」について、子どもたちが紹介しあったという。全員参加が原則だ。これまで会ったことがなく、存在も知らなかった、別の国に生きる仲間たち。彼らとの出会いが、子どもたちに新しい楽しみやモノの見方をもたらしたという。</div><div><br /></div><div>どんなに辛い状況の中にいても、「ひとりじゃない」という感覚こそ、ひとの心を救い、命を救う。コロナ危機がもたらした「つながり」が、憂鬱な日々を送る子どもたちの心に、新たな希望を生み出したようだ。</div><div><br /></div><div><br /></div>工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-84694776117005952952019-07-03T15:05:00.001+09:002019-07-03T15:06:08.757+09:00消滅するはずだった資本主義<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
ある人から、資本主義に関する本が数冊送られてきた。その中で、まず『じゅうぶん豊かで貧しい社会 理念なき資本主義の末路』という本を読んでみた。スキデルスキー父(経済歴史学者)子(哲学者)の著書だ。といっても、彼らを知っていたから最初に手に取ったわけではない。タイトルに興味を持ったからだ。<br />
<br />
著者の一人が哲学者であるせいか、禅問答のような文章もあって、スイスイ読めるものではないが、そこには目から鱗的なこと、大いに考えさせられる議論があった。<br />
<br />
序論で注目したのは、何と言っても、ケインズは、「資本主義はいずれ消滅する」と考えていたのに、実際にはそうならなかったということ、それがまさに間違いの始まりだということだ。<br />
<br />
「ケインズは、資本主義のこの悪癖(自由市場経済は、雇用主に労働時間と労働条件を決める力を与えると同時に、地位を誇示するような競争的な消費をしたがる人々の生来の傾向に拍車をかけるという悪癖)をよく知ってはいたが、富の創造という本来の任務が終われば、資本主義は消滅すると考えていた。この悪癖が深く根を下ろし、当初目指した理想を見失わせるとは、予見できなかったのである。」<br />
<br />
著者によると、ケインズは、よい暮らしができる豊かさが実現すれば、金儲けや金銭欲のために働くという資本主義的な発想は、社会的に容認されなくなるから、資本主義はその任務を終えて、自然消滅するだろうと考えていたそうだ。倫理的に考えて、ある程度、よい暮らしができるようになった人間は、お金を稼ぐことではなく、もっと別のことに時間やエネルギーを使うのが、人としてしぜんだろう。ケインズのそんなつぶやきが聞こえる気がする。<br />
<br />
この本は、最終章で、「物質的な幸福の実現に必要な労働量が少なくなった社会や経済の姿を描き出そう」と試みている。著者が考えるように、「先進国」の中上流層のように、物質的な豊かさはもうある程度手にしている人たちは、もっと稼ぐことではなく、「真によい暮らし」とは何かを考え、それを社会で実現していくために、時間やエネルギー、愛を注ぐべきだろう。それこそが、まだ物質的に恵まれない人たちを助け、より多くの人に真の幸福をもたらす。そう考えると、現在、「世界を支配している資本主義」は、確かにできるだけ早く消滅しなければならない。<br />
<br />
<br />
<br /></div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-25291342690678076502017-12-25T23:31:00.001+09:002017-12-25T23:31:35.167+09:00「教育」は何のため<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0px;">朝日新聞の記事によると、自民党の教育再生実行本部が「教育のあり方」を洗い直しているという。その目的は、「教育の出口として、経済界が求める社会人像も議論し、具体的な提言を法改正につなげていく」ことだそうだ。恐ろしい。教育は、経済界が求める人間をつくる道具ということか。</span><span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<br /><span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">そもそも世界中で「格差」が、細かい分断を積み重ねつつ拡大しているのは、教育政策をも含め、世界の流れが、政治が、「経済」を基準にデザインされ、つくられ、動かされている結果だと感じる。全体の底上げとか、社会に役立つ人間を育てるとか、雇用機会が増えるとか言うと、きこえはいいが、要は「金融・多国籍企業を中心に動く世界」を「維持、発展」させるためのニーズに合わせて、人間は育てられ、訓練され、選別されて、それぞれに「相応の機会」が与えられる、ということではないか。その裏には常に、格差を肯定し、その前提に立って各個人が努力すべきだという経済論理がある。流れに乗れない人間、乗せるにはコストのかかる人間は、はじめから政治・経済世界の視野に入っておらず、切り捨てられていく。私が出会った中米のギャング少年たちも、そうやって「切り捨てられた」人間だ。</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">去る5月、スペインで、自閉症をはじめとするいわゆる障がいをもつ子どもたちと、持たない子たちが、みんな同じ教室で学ぶ公立小学校を訪問した。ひとつの教室のなかで、様々な子どもが、5、6人のグループになって学んでいる。先生に、「ここまでいろいろな子どもがいると、大変じゃないですが?」と尋ねると、「いえ。むしろこのほうが、子どもたちは人間として成長します。学校は、子どもがたくさんの知識を詰め込むためにあるのではなく、一人では完璧でなくても、みんなで学び合い、支え合えば、幸せに暮らしていけることを体験してもらう場なので、このほうがいいんです」という答えがかえってきた。</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<br />
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">教育現場、子どもが育つ環境にそうした意識が欠けている限り、日本社会は、世界はますます不平等で不幸なものになっていく。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-63340475077344804012017-11-07T15:31:00.003+09:002017-11-07T15:35:46.096+09:00表現・言論の自由の重みを知る<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">地中海の島国マルタで、「パナマ文書」をもとに政府の疑惑を追及する記事をブログに書いていたジャーナリストのダフネ・カルアナガリチアさん(53)は、さる10月16日、車に爆弾が仕掛けられ殺害された。彼女は、政府閣僚や首相の妻が中米パナマに会社を置き、マルタにエネルギー輸出を図るアゼルバイジャンの大統領の家族の会社から大金を受け取ったことを暴いた。追い詰められた首相は今年6月、前倒し総選挙に踏み切り(どこかできいたような)、何とか過半数を確保して、再出発した。</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この事件、9月から10月にかけて取材してきたメキシコのジャーナリストの状況に似ていることに、背筋が寒くなった。権力の悪事を暴こうとするジャーナリストは、ペンを折られる。だが、それ以上に私の関心をひいたのは、彼女が殺された後の市民の反応だ。</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">人口、わずか42万人の国で、約1万人の市民が首都周辺で2度、集会を開き、彼女の殺害と政府の対応に抗議する姿勢を示した。先月29日の集会では、老若男女、あらゆる参加者が彼女がブログに残した言葉、「我々は黙らない」の書かれたTシャツを着ていたという。治安が比較的よく、記者殺害事件など起きたことのなかった国で発生した、表現の自由を侵害する犯罪行為に、人々は大きな怒りを感じている。</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この17年間に100人を超えるジャーナリストが殺害されているメキシコでも、勇気あるジャーナリストと彼らを支持する市民は、自分たちがよく知るジャーナリストが権力によって理不尽に抹殺されると、通りに出て声を上げる。社会から表現・言論の自由が奪われれば、権力によるファシズム支配が完成すると承知しているからだ。</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この日本で今、もしも権力の絡んだ理不尽な現実の裏のからくりを暴こうとしていたジャーナリストが殺されたとしたら、市民はどう動くのだろう。何十万人もの抗議集会が開かれるだろうか・・・</span></div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal;">
</div>
<div style="color: #0a0903; font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 16px; line-height: normal; min-height: 24px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-9679266217239253442017-10-30T11:09:00.004+09:002017-10-30T11:10:08.457+09:0011月のイベント「メキシコ麻薬戦争から見える世界」<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div class="_5pbx userContent _3576" data-ft="{"tn":"K"}" id="js_44e" style="color: #1d2129; font-family: 'Helvetica Neue', Helvetica, Arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 1.38; margin-top: 6px;">
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
メキシコにおける麻薬カルテルの抗争、彼らとつるむ政治家・企業家・公務員の汚職は、大勢の市民を巻き込んで続いている。今年2017年は、これまでの「麻薬戦争」で最悪といわれた2011年をしのぐ勢いで、死者・失踪者を生み出している。</div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
この現実は、メキシコの「特殊事情」なのか、それとも日本や世界と関係のあることなのか。あるとすれば、どんな?</div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
11月17日のイベントでは、私の最新刊『マフィア国家』の発刊を後押ししてくださった岩波書店の月刊誌『世界』の編集長・清宮美稚子さんと、私の担当編集者である熊谷伸一郎さんとともに、この問題について、みなさんと考えます。</div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
ぜひご参加ください!</div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
<br /></div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px;">
<b>スライドトーク<br /> 岩波『世界』x『マフィア国家』 <br /> メキシコ麻薬戦争から見える世界</b></div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
<br /></div>
<div style="font-family: inherit; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
『世界』での連載をベースに、今年7月、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)を出したジャーナリストの工藤律子が、岩波『世界』編集部(編集長・清宮美稚子&担当編集者・熊谷伸一郎)と、メキシコ麻薬戦争を通して見えてくる世界について、取材写真(by フォトジャーナリスト篠田有史)を使いながら、語ります。<br />
※スペシャルゲストの飛び入りもある?!</div>
<div style="display: inline; font-family: inherit; margin-top: 6px;">
日時 11月17日(金) 7pm〜10pm (6:45pm開場)<br />
場所 高円寺Grain (杉並区高円寺北3-22-4U.Kビル2階)<br />
*JR高円寺駅北口より徒歩1-2分<br />
TEL&FAX:03-6383-0440 <br />
<a data-ft="{"tn":"-U"}" data-lynx-mode="origin" data-lynx-uri="https://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fgrain-kouenji.jp%2Faccess%2F&h=ATNhpb-3a0cv3QwID-9Ys8F0QRyU-64f4JT1vTJrovY402Pa2OfOuIgl8qgbKRBtg6tpelOveBYcLlbYOPBWEOE50Nc_Bqz-FkuGksrpszqnjBWxuXBEMZxuRowBBPu8cX2nSv19GgU4fieDV2eePLpbc9M0ghDfRR2e7hm9n_oJU0CLp4abVif4ic0T4mAtU6YSFH-cIrdhnM0BU1171kXyoHgfbOUOBi6fZIGwPMLOq-7gyRg024xdcaGE1ubRYH0puYhVHWXzWouusKrMiPNAp-6PkMMBhm3ToeRULSp71yU" href="http://grain-kouenji.jp/access/" rel="nofollow" style="color: #365899; cursor: pointer; font-family: inherit; text-decoration: none;" target="_blank">http://grain-kouenji.jp/access/</a><br />
参加費 1000円<br />
(手作りラテンディナー&ワイン&ソフトドリンク付)← 料理は私が腕によりをかけて準備!<br />
*収益の一部は、メキシコでの失踪被害者支援活動<br />
に寄付。 <br />
問合せ&申し込みは、今のところ下記へお願いします。<br />
E-mail: event@iwanami.co.jp</div>
</div>
<div class="_5pbx userContent _3576" data-ft="{"tn":"K"}" id="js_44e" style="color: #1d2129; font-family: 'Helvetica Neue', Helvetica, Arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 1.38; margin-top: 6px;">
<div style="display: inline; font-family: inherit; margin-top: 6px;">
※飲食準備の都合上、できるかぎり事前にお申し込みください。</div>
</div>
<div class="_5pbx userContent _3576" data-ft="{"tn":"K"}" id="js_44e" style="color: #1d2129; font-family: 'Helvetica Neue', Helvetica, Arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 1.38; margin-top: 6px;">
<div style="display: inline; font-family: inherit; margin-top: 6px;">
*スペースの関係上、約40人で締め切らせていただきます。 </div>
</div>
<div class="_3x-2" style="color: #1d2129; font-family: 'Helvetica Neue', Helvetica, Arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 12px;">
<div data-ft="{"tn":"H"}" style="font-family: inherit;">
<div class="mtm" style="font-family: inherit; margin-top: 10px;">
<div class="_2a2q" style="font-family: inherit; height: 476px; overflow: hidden; position: relative; width: 476px;">
<a ajaxify="https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10211690918003289&set=pcb.10211690938843810&type=3&size=200%2C289&source=13&player_origin=unknown" class="_5dec _xcx" data-ft="{"tn":"E"}" data-ploi="https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/22788954_10211690918003289_3320840762311967349_n.jpg?oh=753d93323d53d9c46c05007dd7ae9230&oe=5A72BD29" data-render-location="permalink" href="https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10211690918003289&set=pcb.10211690938843810&type=3" id="u_1o_5" rel="theater" style="color: #365899; cursor: pointer; display: block; font-family: inherit; height: 476px; left: 0px; position: absolute; text-decoration: none; top: 0px; width: 237px;"></a></div>
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-46680432348074302922017-10-13T12:45:00.000+09:002017-10-13T12:45:16.119+09:00政府・企業の怠慢、若者ギャングの底力<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
メキシコは、9月に2度の地震に見舞われた。一度目の時には、ちょうど「ストリートチルドレンを考える会」のスタディツアーを率いて、現地のホテルに滞在していた。夜中の12時まえに突然、ゆっくりと床が左右に揺れ始め、欠陥建築が多い国の地震に、さすがの私も一瞬緊張した。が、幸い、メキシコシティでは大きな被害はなかった。そして19日、私が篠田とキューバ取材に出た翌日、ちょうど32年前に首都を大地震が襲ったのと同じ日に、2度目が起きた。<div>
<br /></div>
<div>
友人たちの証言から想像すると、今度は恐らく日本で言うところの震度5前後の揺れだったのではないかと思われる。もともと湖の上につくられた街であるメキシコシティにおいては、特に地盤の悪い地域に立つ古い建物や、建築基準を守っていなかった住宅、アパートなどが、複数倒壊した。日本ならば、恐らく建物が倒れることはなかっただろう。自然災害の裏に、人的災害が見えた。</div>
<div>
<br /></div>
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メディアは、子どもの犠牲を出した私立学校や、まだ建てられて1年も経たないマンションの倒壊などが、許可なく建てられた違法建造物や手抜き工事などに因ると書いた。その証拠を探るために、建築許可書の提示を求める記者たちに、役所は「証拠隠滅」で応じた。建設業界と役人の癒着が見え隠れする。</div>
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<br /></div>
<div>
麻薬戦争を通してすでに、この国の人権無視の実態は暴かれているが、大地震は改めて問題の根深さを物語った。</div>
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<br /></div>
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その一方で、社会が「怠慢で何もしない」と批判的に見ていた若者たちが、誰に指示されるでもなく、率先して被災者の救出作業に向かい、救援物資を集め、各国からの救助隊や政府の支援がなかった遠隔地にまで出向いて、絶望の縁にいる人々を支えている。そのなかには、ふだんスラムでケンカや麻薬売買などに関わっているギャング青年たちもいた。</div>
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<br /></div>
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「本当は皆、人のためになることをしたいんだよ。そんな連中が仲間と、手元にあったシャベルなんかを手に、次々と倒壊現場へ駆けつけた。そして、瓦礫の下から人を助けたんだ」。</div>
<div>
メキシコシティを中心にかつては700人の子分を率いていたギャングリーダーは、仲間の奮闘ぶりをそう語った。メキシコ人としてやるべきことをやらねば、と、若者たちは奮起した。</div>
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<br /></div>
<div>
「この国の若者は本来、責任感が強く、互いに支え合うべきだという意識を強く持っている。それを生かせる環境を、社会は与えてこなかった。そんな場が現れたとき、彼らはしぜんに自分たちの果すべき役割を担ったのさ」</div>
<div>
救援物資を若者たちとともに遠隔地に運び、配給するのと同時に、復旧作業を手伝うプロジェクトを動かすカルロス・クルスは、彼がつくったNGOの事務所で物資を仕分けし、トレーラーに積み込む学生やギャングの姿を、頼もしそうに見つめていた。彼も若い頃は、ギャング団のリーダーだった。今は、次世代の子ども・若者たちに、非暴力と平等、社会参加を促す活動をする。救援物資を運ぶトレーラーも、ボランティアの若者たちが乗る大型バスも、彼が企業と交渉して無料で手に入れた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
政府や企業の怠慢と、ギャングをはじめとする若者たちや元ギャングの底力が、メキシコが抱える問題と希望、両方を映し出していた。</div>
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-22525687155730500092017-06-04T17:57:00.001+09:002017-06-11T17:17:23.704+09:00著者(私)自らが語る 『マラス』<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="margin-bottom: 0cm;">
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
※ラテンアメリカ・カリブ研究学会誌に掲載された記事を転載させていただきます。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal; min-height: 14px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
『マラス 暴力に支配される少年たち』</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
(集英社 2016.11 工藤律子/著 篠田有史/写真)</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal; min-height: 14px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「マラス」という単語でネット検索をかけると現れる、スキンヘッドや顔面までタトゥーに覆われた、恐ろしげなギャングの若者たち。ネットに流れるそんなイメージと、私が実際に会い、話をしたギャング青年たちは、ある意味、まったく違っていたー</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
ラテンアメリカの研究者ならば、恐らく誰もが、マラスという言葉とそれが指す集団の存在は知っているだろう。が、日本の一般メディアはその問題をほとんど報道しないうえ、各国のメディアが映し出す彼らの姿も、マラスのメンバーや彼らがいる地域がとんでもなく「特殊」であるかのようなイメージばかりを作り出している。そうやって、問題の本質や彼らが私たちの世界の一員であるという事実を、かき消している。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
ホンジュラスにはなぜ3万人を超えるギャングがいるのか、ラテンアメリカはなぜ世界一貧富の格差の激しい場所になっているのか。周囲にそう問いかければ、「そんなこと、私たちには直接の関係がない」という反応が返ってきそうな社会を前に、私はこの本を通して伝えたい。ラテンアメリカの子ども・若者たちの現実と、日本をはじめとする他の国々の同世代の現実は、深く結びついており、私たちはそこに浮かび上がる世界的な問題に、ともに取り組まねばならないということを。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
私にとって、学生時代に留学で出会ったメキシコをはじめとするラテンアメリカの国々は、慣れ親しんだ人々、「家族」や「友人」、「仲間」が暮らす場所だ。だから当然、その社会情勢やそこで深刻化している問題には、いつも特別な関心を抱いている。そんななか、最近感じるのは、日本で私の周りにいる知人たちが、この国の子どもや若者が抱える問題として憂えていることが、メキシコや中米で取材している問題と、あまりにも似ている、同じだということだ。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「自分に自信がない」、「居場所がない」、「希望がみえない」、「とりあえずお金がないとだめだと思う」、「おとなは信用できない」etc.</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
日本で今、「不登校」など様々な形で「普通」の道すじから「外れた」とされる子どもや若者と接するおとなたちは、目の前にいる彼らの不安を、そんな言葉で表現する。それはまさに、家庭での虐待を逃れて路上にきた「ストリートチルドレン」と呼ばれる子どもたちや、マラスに入る少年たちの思いと重なる。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
『マラス』には、三人、ホンジュラスの元ギャングの若者が登場する。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
まず一人は、マラスがまだ中米に広がっていない時代に、大物ギャングとして名を馳せたアンジェロ。本の表紙を飾っている男だ。彼は、首都テグシガルパのスラムで育ち、そこにいくつもあった若者ギャング団に憧れ、力=暴力を用いてその頂点に立ち、何でも思い通りにできる金と権力を手にする。が、自動車強盗として襲った車の主が、銃を突きつけられてなお、静かに言い放った一言が、彼の心を揺さぶる。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
アンジェロは、大金を叩いてボディガードを雇い、とことん武装していても、死への恐怖を消し去ることができずにいた。なのに、その男は丸腰で、死ぬことなど怖くない、と言ったのだ。そのことが伏線となり、彼はのちに刑務所の中で「変身」する。そして罪を犯した者たちを、まっとうな人生へ導くことをライフワークとするようになる。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
マラス世代のネリは、母親と自分たち子どもに暴力を振るう父親のいる家を離れたい一心で、地域の若者たちがこぞって参加していたギャング団、マラスの一つに入る。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「ギャングになってからは、兄貴分が食事や服、何でも与えてくれた。ストリートが家で、ギャング団が家族だったんだ。(中略)ほとんどの時間を仲間とすごした。ほかに居場所がみつからなかった」</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
彼は、自分の心の癒しと問題解決をマラスに見出そうとするが、それは無理な話だった。そして敵に殺されそうになり、命からがら逃げ出した後に訪れた教会で、こう気づく。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「僕には愛が欠けていた」</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
その後、マラスを抜け、教会でボランティア活動をしながら、まじめに働き、ギャング少年たちに、ラップミュージックを通して、暴力を離れて新たな人生を歩むよう呼びかけている。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
父親を殺したギャングに復讐しようと、敵対するマラスに入った少年、アンドレスは、「人をひとり殺せ」という命令にどうしても従えず、マラスを抜ける決意をする。そのために故郷を離れ、メキシコまで旅を続ける。二〇一三年頃から急増した米国への不法入国を試みる中米出身の子どもたち同様に、バスでグアテマラを横切り、川を渡ってメキシコに入り、米国へ向かう貨物列車の屋根に乗り・・・ 冒険の末、メキシコ移民局にたどり着く。運の良いことに、親切な警官の助言や難民支援委員会の配慮のおかげで難民認定を受けることができ、メキシコで合法的に暮らせるようになる。しかも、現地NGOの支援で職業訓練を受け、一流ホテルへの就職も果たした。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「幼馴染はほとんど死んでしまった・・・」</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
メキシコで夢を持って生きることを知った少年は、過去を振り返り、こう語る。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
「ギャングになれば、恐れられるようになる。それを、リスペクトされている、というふうに勘違いするんだ。人々が抱く恐怖心が、ギャングになった少年たちをいい気分にさせる。多くの少年は、リスペクトされる存在になりたくて、ギャングになるんだと思う」</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
彼らのような若者たちに、別の生き方を見出してもらおうと奮闘するおとなたちには、信仰を糧に活動する者、NGOとして様々なプロジェクトを展開する者など、いろいろな人がいる。そして誰もが、大きなジレンマを抱え、時に無力感に襲われながらも、祖国の未来のために、暴力の闇に翻弄される子どもや若者と向き合い続けている。それは、おとなが関わり続けることで、信頼関係を築き、対話を繰り返していけば、子どもたちに変わるチャンスをつかんでもらえると、確信しているからだ。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
そんな確信を、より多くの子どもたちにとっての現実とするには、ギャングが支配する地域のおとなたちだけが、孤軍奮闘していてはだめだ。そう強く感じる。私たち皆が、それぞれの場で、自分が取り組んでいる課題と世界のつながりを考え、未来のために今、何をすべきかを、世界の人たちとともに真剣に考えなければ。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
一九八四年、二〇歳で出会ったラテンアメリカには、貧乏暮らしをしながらも、皆でそこから抜け出すぞ、という活気があった。人間同士のつながりが多くの問題を解決し、保険も蓄えもなくても、なぜか未来に希望を抱くことのできる世界が、そこには存在した。バブルへと突き進む日本社会で私が感じていた不安や違和感から解放してくれる、人間パワーと連帯感があった。それが徐々に薄れ、失われていき、マラスのような若者たちを生み出した原因は、ラテンアメリカだけにあるのではない。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal;">
歪んだグローバル化がもたらした「現在」を様々な角度から分析し、新たな道筋を描くのは、私たち地球市民、全員の責務だろう。その責務を果たすための気づきの材料として、この本が役立つことを切に望む。</div>
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal; min-height: 14px;">
<br /></div>
<br />
<div style="font-family: 'MS Mincho'; font-size: 14px; line-height: normal; min-height: 14px;">
<br /></div>
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</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-47419405360208909352017-03-30T13:01:00.000+09:002017-03-30T13:08:35.279+09:00墓地に暮らす少女の挑戦<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
シャイで無口だった少女は、強くたくましい女性になった。<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">3</span>月<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">8</span>日に「ストリートチルドレンを考える会」のスタディツアー「フィリピン・ストリートチルドレンと出会う旅2017」の参加者を見送った後、私とパートナーの篠田は、NHKのディレクターと共に、墓地に暮らすジュリアン(20)の取材を始めた。<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">4</span>月<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">3</span>日に<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">NHK</span>の「ニュース シブ<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">5</span>時」という夕方のニュース番組で、彼女を紹介する<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">15</span>分ほどの特集を放送することになったからだ。(<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">BS</span>の10PM「国際報道」でも翌週当たり放送予定。)およそ一週間、ジュリアンやその家族に迷惑にならないように、小さなカメラで篠田とディレクターが撮影し、私はいつも通り、彼らと接する。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
シャイなジュリアンは、撮影されることをあまり歓迎しないのではないか。約<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">8</span>ヶ月ぶりに会いに行く前は、そんな心配をしていた。が、彼女はむしろ、カメラの前でも堂々と話し、立ち回り、ホテル&レストラン業を学ぶ女性らしい振る舞いをした。<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">8</span>年前に初めて出会った頃、何を聞いても、自信なさそうにただニッコリして眉を上げるだけだった少女は、下手でも臆せずに英語で話そうとする、積極的な大人になっていた。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
昨年は、スタディツアーが参加者不足で成立しなかったため、<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">7</span>月に私と篠田だけで会いに来た。当時はジュリアンと一つ違いの兄ジュネルが、おそらく薬物を使い出したせいで、おかしな言動を繰り返しており、家族全員が不安とストレスにつぶされそうになっていた。ジュリアンは、「ストリートチルドレンを考える会」の会員<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">12</span>人で出している奨学金で大学に通っていたが、学費と通学費以外の、例えば料理実習の食材などは、自分で用意しなければならないため、授業のない時間帯はほとんどファストフード店でのアルバイトに使い、心身ともにかなり疲れていた。稼いだお金の半分は、家族の生活費として母親のフロリサさんに渡すため、労働時間を増やし、勉強と睡眠の時間が削られていた。そんなとき、兄が家族のものを盗んだり、意味不明なことを口走ったりするようになり、彼女は完全に参っていた。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「この家にいたくない。そう思っていました」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
当時のことを、そう振り返る。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
バイト先でも、いじめなのか、バイト仲間が自分の失敗を彼女のせいにし、店長に告げ口をしたため、昨年末で仕事を首になった。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「でも、もうすぐ学校では卒業を目指しての実地訓練、<span style="font-family: "times new roman"; line-height: normal;">On the Job Training</span>が始まるので、これを機会にバイトはやめて、勉強に専念して、いい成績をとりたいと思いました」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
ジュリアンは、ピンチをチャンスと捉えて、前へ進むことにする。そして、学校での成績を少しずつ上げていった。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
彼女の頑張りをみながら、ジュネルの問題を解決する方法を思い悩んでいたフロリサさんは、今年1月、一つの決断をする。彼を警察に連れて行くことにしたのだ。ドゥテルテ大統領による麻薬戦争で、薬物常用者が大勢殺されているなか、どこかそれに怯えているようにみえたジュネルが、殺されたり、家族ではなく他人のものを盗んだりしないうちに、刑務所に隔離しようと考えたのだ。私たちにとっては驚くような判断だが、母親にはそれなりの考えと決意があった。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「ジュリアンや家族が安心して暮らせること、そしてジュネルが薬物などと関わらない場所にいることが、大切だと思ったんです」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
結果的に、この判断は家族の生活を良い方向へと導いたようだ。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
ジュリアンは、取材中、就職に向けてのセミナーや試験に追われながら、学生生活を楽しんでいた。日本円で年間<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">15</span>万円前後という高額な授業料をとる大学に通う同級生は、毎月一万円くらいの小遣いを使うという、裕福な家庭の若者たち。だが、彼女はマイペースで、彼らとうまく付き合っている。みんなでマクドナルドに入っても、一番安い飲み物一杯だけ買って会話を楽しみ、ショッピングに誘われても、それとなく断る。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「墓地に暮らしていることは、話してません。聞かれないから。聞かれれば言うんですけど。彼らは、貧困とかそんなことには興味がないんだと思う」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
自分の同級生のような富裕層の人たちは、貧困層の現実になど関心がない。彼女はそう考えている。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「もしいい給料がもらえるようになって、ショッピングを楽しんだり、きれいなレストランで食事したりするようなお金が手に入ったら、そうしたいと思う?」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
そう尋ねると、ニッコリして、</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「いいえ。私はお金が手に入ったら、家族と墓地を出て、ささやかな部屋を借りて暮らしたいだけです。そして、私のような子どもたちの力になりたい」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
と、答えた。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
ジュリアン一人に頼っていてはいけない。今回、私たちのNGOが支援している現地<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">NGO</span>のひとつ、「セラズ・センター・フォー・ガールズ」を運営するカトリックのシスターで、心理カウンセラーでもあるアルマさんに悩みを聞いてもらったフロリサさんも、そう考える元気が出てきた。ジュネルについて思い悩んでいたことを吐き出し、シスターたちが、ジュネルへの今後の対応を含めて、家族を応援すると約束してくれたからだ。安心した彼女はさっそく、シスターが勧める「<span style="font-family: "times new roman"; line-height: normal;">Housekeeping</span>(ホテルやレストラン、邸宅などでの清掃やベッドメーキング、カラス磨きなどの仕事をするスキル)」の訓練コースに参加することにする。教会が無料で提供しており、修了証書をもらえば、仕事を得るチャンスが増えるからだ。就職前の<span style="font-family: "times new roman"; line-height: normal;">On the Job Training</span>でも、バイト代がもらえる。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「ふたりで力を合わせて、墓地を脱出します」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
昨年の暗い表情とは打って変わって、生き生きとした笑顔で、フロリサさんが宣言する。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「いつ頃、墓地を離れられると思いますか?」と聞くと、「そうですね。年明け頃でしょうか?」。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
同じ質問をジュリアンにしたら、こちらは強気な返事をくれる。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「7月くらいかしら?」</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
すると母親が、「ええ~、そんなに早く!?」と驚く。「でも<span style="font-family: "helvetica"; line-height: normal;">5</span>月末に大学を卒業するのと同時に、いい就職先が決まれば、可能よね」と私が言うと、ジュリアンはいたずらっぽい笑みを浮かべて、こう言った。</div>
<div style="font-family: 'hiragino kaku gothic pron'; line-height: normal; text-align: left;">
「<span style="font-family: "times new roman"; line-height: normal;">Why not!</span>(行けるでしょ!)」</div>
<div style="font-family: 'times new roman'; line-height: normal; min-height: 15px; text-align: left;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'times new roman'; line-height: normal; min-height: 15px; text-align: left;">
★4月3日(月)NHK「ニュース シブ5時」にて,ジュリアンを紹介するレポートを放送します。</div>
<br />
<div style="font-family: 'Times New Roman'; font-size: 12px; line-height: normal; min-height: 15px;">
<br /></div>
</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-78097373079276818122017-02-02T13:23:00.001+09:002017-02-02T13:27:26.146+09:00「まなぶ喜び」を知る権利<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 12px; line-height: normal;">
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; line-height: normal;">
いつの日からか、日本では、多くの子どもたちにとって、「まなぶ」ことがあまり楽しいものではなくなった。経済の競争原理が、学校教育にも持ち込まれたせいだろう。合理的に知識(データ?)を詰め込み、試験問題を正確に解く力が重視され、学ぶことの楽しさや喜びは、いつのまにか捨て去られたような感じすらある。そうなると、その学校制度に適応できない子は、よほど仲良しの友人でもいない限り、学校はつまらない場所になり、まなぶことは面倒で苦痛なものとしか映らない。適応できた子も、いい学校に入るといった目的を達してしまえば、頭につめこんだことを忘れてしまったり、詰め込んだ知識を人生で活かして楽しむことができない。そんな学びは、「人間のまなび」ではない。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; line-height: normal;">昨日、試写でみた映画</span><span style="letter-spacing: 0.0px;">「まなぶ 通信制中学</span><span style="font-family: Times; letter-spacing: 0px; line-height: normal;">60</span><span style="letter-spacing: 0.0px;">年の空白を越えて」</span><span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; line-height: normal;">は、</span><span style="letter-spacing: 0.0px;">「人間のまなび」とは何かを、改めて考えさせるものだ。人間には、まなぶことの楽しさ、喜びを知る「権利」がある、と思う。それを持つか持たないかで、人生の豊かさが大きく変わるからだ。むろん、社会に貢献できる可能性も、変わる。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">映画では、戦後、学校教育が新たな6・3制で始まった際、旧制度時代に中学教育を受けられないままだった人たちのためにつくられた「中学校通信教育課程」で学ぶ人たちを追う。始まった頃は当然若い人が多かったが、今回映画に出てくる生徒は皆、60代以上の高齢者だ。この制度は、あくまでも旧学校制度から新たな学校制度に移行した際に、新しい中学教育からこぼれ落ちた人たちのためであるため、その「世代」にしか適用されない。現在の子どもや若者、若い中高年は、対象外だ。おまけに、この学校自体が、日本中に、この映画の舞台である千代田区立神田一橋中学校、一校しかない(5科目限定のものが、大阪・天王寺に一校)。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">そんな学校で、子どもの頃は様々な理由で中学に通うことができなかった60、70代の男女が、まなんでいる。苦労はするが、知らなかったことに気づき、気づきを楽しみ、知る喜びを感じ、まなんだことが自分の知っていることともつながって、人生が豊かになっていく。通信制なので、年に20回程度しか教室に来て、先生の前で同級生と机に向かうことはないが、通学のひとときも、そこで一緒にすごす仲間や教師との関わりも、生徒に新たな楽しみをもたらす。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">難聴のせいで疎外感を味わい、ひきこもって生きてきた女性。貧困の中、世間に冷たい扱いを受け、人を信じることができなくなっていた男性。夫の世話に追われながら、自分らしく生きる場を見い出せなくなっていた女性。そんな人々が皆、教師や同級生と一緒に考えながらまなんでいく過程で、現役中高生のような友だちづくりや学校生活を楽しみ、より豊かな人間性を身につけていく。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">それは単に、人生経験の豊富な高齢者だから起きたこと、というわけではない。教師たちが、知識の詰め込みや合理性を求める授業ではなく、一つひとつの知識に、一人ひとりの生徒がほんとうに触れて楽しみ、身につけていく喜びを大切にした授業をしているから、そして生徒たちの問題にも個別に親身になって向き合っているからこそ、可能になったのだ。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">そんな学校教育が、全世代を対象に、全学校で行われていれば、日本人はもっと豊かな人生を歩めるだろう。貧しい国々でも、大勢の人が、たとえお金がなくとも、今よりずっと豊かに生きられるだろう。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この映画は、日本で、世界で、教育に携わる人たち、そして今教育を受けている子ども・若者たちに、ぜひみてほしい。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">*この映画の公開は、3月25日。新宿K's cinemaにて、連日10:30モーニングロードショー。特別鑑賞券1000円発売中。</span></div>
<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; line-height: normal;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">http://www.film-manabu.com</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
</div>
</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-88089172902269040832017-01-08T15:21:00.000+09:002017-01-09T10:43:28.880+09:00共感と連帯<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
朝日新聞で連載されていた「いま子どもたちは 西成で育つ」という記事で、大阪市西成区の児童館「山王こどもセンター」の子どもたちが、月に一度、「こども夜まわり」という活動をしていることが、紹介されていた。子どもたちが手作りのおにぎりと毛布やひげそりを持って、路上生活をしている人たちのところをまわる。地域の路上で寝泊まりする人たちのことをきちんと知ろうと、2004年からおこなっているそうだ。この活動を通して、「豊かな日本で、なぜ路上生活者がこんなにもいるんだろう」と疑問を抱いた中学一年生は、学校の自由研究で路上生活者に対する同級生らの印象と現実を比較し、そこにズレがあると感じる。そして、路上生活者への偏見をなくすために、同世代に正しい現実を伝える活動を始める。<br />
<br />
この記事を読んだとき、子どものころから自分とは異なる人たちと直に向き合うこと、その現実をきちんと理解する(共感する)努力をすることが、いかに大切かを痛感した。それは、路上生活をする日本のおとな、途上国の子どもたち、誰に対してもそうだろう。<br />
<br />
昨日、社会福祉関係者のイベントで講演をするために、鳥取県米子市を訪れた。昨年2月に出した『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発・もうひとつの生き方への挑戦』を読んだイベント主催者の一人が、招聘してくださった。その方は、障がい者支援に携わっている、とてもパワフルで人間味溢れる女性で、誰もが普通に生きられる社会にしたいという思いを、講演前日、美味しいワインを飲みながら語ってくれた。<br />
<br />
障がいをもつ人に対する偏見は、いまも根強く、彼らは障がいをもつというだけで、限られた環境、人間関係のなかに閉じ込められている。それは日本社会が、まだまだ異なる者を簡単には受け入れないという事実の、ひとつの現れだろう。一見、別の問題にみえるかもしれないが、路上生活者への偏見も、障がい者への偏見も、移民への偏見も皆、根にあるものは同じなのではないだろうか。<br />
<br />
昨年2月に出した『ルポ 雇用なしで生きる』をつくる時の取材でお世話になった廣田裕之さん(バレンシア在住)が、最近出版した『社会的連帯経済入門」という本のなかで、日本人は社会的弱者に対する同情や、誰もが人間らしい生活を送る権利に対する意識に欠けると書いている。失業者や低所得者に対して、自己責任論を持ち出すこともその現れだと捉える。まったく同感だ。日本人はまた、「連帯」と言うべきところを、「ふれあい」といった表現にしたがる、とも。<br />
廣田さんは言う。<br />
「連帯は、理念や他人の行動に共感して支援し、一緒になって現状を変えてゆくこと」<br />
で、それに対して、「ふれあいは、むしろ他人や動物などとの情的な交流が中心であり、社会変革を目指すものではない」。<br />
<br />
「思いやり」も最近、「共感」という言葉とともに、日本人に好かれているが、ここにも落とし穴があると、私は感じる。思いやりは、確かに他人の気持ちを推し量る、想像することを指すが、多くの場合、対等な人間に抱く感情ではない。多様な人々が創る世界を想うとき、私たちはあくまでも周囲の人々と「連帯」することを目指すべきで、決して、同情や憐れみ、支援の気持ちだけで、他者と、異なる者と関わるべきではないと思うのだ。<br />
<br />
昨夜テレビでみた若者の討論番組で、「いまの日本人は共感が得意で、むしろ共感しすぎじゃない、という場面が多い」といったことを指摘する人がいた。その「共感」は、たぶん波風たてないための同意や、楽に生きるための悪知恵で、本来の意味でのそれではないだろう。人の体験や感情を理解するというよりも、「だよね〜」と反応しておけば何となく平和に心地よくすごせる、といった感覚ではないかと想像する。が、本来、まず本当の意味で共感し、その共感のあとに、もう一歩踏み出して、その人(たち)とともに何かを成し遂げようとするのが「連帯」で、私は今世界で求められている姿勢は、それだと感じる。<br />
<br />
乳幼児、高齢者、障がい者、失業者、移民、難民、世の中にいる様々な人たちが、対等な立場で互いに支え合い、助け合って、人間らしい暮らしのできる世界を創り上げていくためには、「連帯」を!そう言い続ける一年にしよう。「連帯」は、かつて左翼運動でよく使われただけの死語、ではない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-56809852502490573562016-11-06T00:29:00.001+09:002016-11-06T00:29:33.860+09:00ほんとうの世界基準を知る<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
「若者への励ましのメッセージを」と、開高賞をいただくことになった拙著『マラス』について取材に来てくれた若い記者に言われた。『マラス』では、ギャング団に入ることしか、生き方の選択肢が見えてこない中米の若者たちの姿を追っているのだが、限られた選択肢しか目に入らないような社会に生きている点では、日本の若者たちも同じ状況だろう。そこで私が思うのは、とにかくもっと自由に生きようよ!ということだ。<br />
高度成長後の日本社会では、おとながとにかく「いい大学を出て、いい給料のもらえる会社に入って、将来が保障された生活を手にする」生き方を、意識的にか無意識にかはともかく、子どもたちに「目指すべき人生」として教えてきた気がする。リーマンショックのようなマネーゲームに翻弄される新自由主義的資本主義社会の限界とほころびがみえるてきた現在、それはもはや「将来が保障された生活」をもたらす道であるかどうかすら怪しいが、それでも世間は子どもたちに、とにかく「良い学校」と「良い会社での正規雇用」を勧める。その道に進めない人間は人生の落伍者だ、とでもいいたげな空気が、この国にはある。しかし、よくよく世界を見渡せば、世界の大半の人々は、良い学校を出る機会のない場所で、良い会社に正規雇用されることなどなく、とにかく毎日を自分なりに懸命に生きている。そんな日々の中に、自分なりの目標を掲げて努力し、小さな前進の中に幸せを見出し、笑顔になる。将来が安定しているか、老後の蓄えがあるかなどという心配をし、不安のあまり沈みがちな毎日をすごす人間など、ほとんどいないだろう。老後よりも何よりも、今この時を生きることに必死だし、夢中だから、今日の挫折に悔し涙を流すこともあるが、今日のささやかな成功に人生の幸運を感じて家族と乾杯することも多い。つまりは、日本社会が自分に求めていると思われることができなくても、そっちのほうが世界では普通のことなのだから、全然問題はないのだ。<br />
いまどきの日本人は、グローバル・スタンダード=世界基準という言葉が好きだが、人間世界の「ほんとうの世界基準」といえる生き方は、どんな困難があっても、とにかく毎日を一生懸命に自分らしく生きることであって、先々の心配のために今を犠牲にしたり、世間の声に振り回されて自分を見失ったり、まわりがいうような生き方ができないことに絶望したりすることではない。ちょっと世界を見渡せば、そんなことは大したことではないとわかるはずだ。大丈夫、世間の理想と自分が違うのが普通。どうってことはない。人生の先輩たちは、もっと声を大にして、子どもたちや若者にそう伝えなければならない。<br />
若者へのメッセージは、「ほんとうの世界基準を知ろう」、世間の言うことなんか気にせず、自分らしい人生を、一日一日、歩んで行こう、ということだ。この国ではマスコミも皆、視野が狭くて、そういう世界基準をきちんとみせてくれないかもしれないけれど、インターネットもある時代だし、みんな、もっと世界に目を向けようよ。そうすればきっと、人生はもっと楽しくなるに違いない。</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-75109234129549582272016-06-16T10:59:00.000+09:002016-06-16T10:59:09.442+09:00倫理コード<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
舛添氏の政治資金問題に関する発言を見ていて、「どんだけ感覚ずれてんの〜」と呆れると同時に、先月インタビューしたスペイン・バルセロナ市役所の行政チーム11名の一人、ガラ・ピンさん(35歳)を思い出した。彼女は市長のアダ・コラウと同じく、生粋の社会活動家。政治経験はゼロだが、市民の声をもっともよく代弁できる政治家の一人であることは、間違いない。市政を担う彼らは、昨年5月の統一地方議会選挙で政治変革を求める市民の後押しを受けて第1党となった、左派市民組織・政党の連合体「バルセロナ・エン・コム」のメンバーで、同党は議員としての行動に、独自の「倫理コード」を持っている。<div>
<br /></div>
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わかりやすい例を挙げると、まず議員は二期以上は務めない。月収は役職に関係なく(市長を含め)、一律2200ユーロ(約27万円)以内で、それ以上はもらわない。外部の会議や行事に参加して余分に謝礼などが出ても、受け取らない。議員としての仕事は、「この範囲で遂行できる」からだ。</div>
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<br /></div>
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それでも、人は言う。「そんなことを言ったり、やったりしていられるのは、政治家になって初めの頃だけ。長くやっていれば、既存の政治家同様にやはり、汚職に手を染めるものだ」</div>
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</div>
<div>
この件、どう思うか?ガラさんに尋ねると、秘書と顔を見合わせ、困った顔をしながら、</div>
<div>
「そもそも汚職って、どんな風にするのかしら?」</div>
<div>
それから真面目な顔をして、こう話した。</div>
<div>
「確かに長く今のままの政治世界に身を置いていると、どんなに善良な人間も悪いことをする羽目になるのかもしれません。だからこそ、私たちは倫理コードを設けました。でも政治制度を根本から変えることができれば、それもなくなるでしょう。そして私自身が政治に直接関わる上で何より大切にしているのは、自分がどこから来たのかを忘れず、常にそこに繋がっていること、です。例えば先日驚いたのは、他の党の議員の中には、私たち市民が"月末まで持たないわ〜”と言う時、それが意味していることを理解できない人がいたということ。そういう人たちに、市民のための政治はできません」</div>
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<br /></div>
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日本の政治家の皆さんも、ぜひガラさんたちのような倫理コードに基づいて、活躍してください。</div>
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<br /></div>
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</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-53809517378734605422016-03-08T12:02:00.001+09:002016-03-08T12:02:37.707+09:00「浮浪児」と呼ばれた戦災孤児と現代日本の子どもたち<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
先日、NGO「ストリートチルドレンを考える会 (CFN)」の仲間が、昨年11月末の読売新聞に掲載された、「戦後70年 伝える」というシリーズ記事のひとつのコピーをくれた。そこに書かれていたのは、私が「ストリートチルドレン」の取材を始めるきっかけとなり、その後、共にCFNを創った故・相川民蔵さんが最初に「ストリートチルドレンのことを知りたい」とおっしゃった理由と重なる話だった。<div>
<br /></div>
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1945年8月を都市で迎えた人の多くは、相川さんやこの記事の主人公、児童養護施設「愛児の家」の石綿裕さん(83)と同じ光景を目にしたことがあるかも知れない。戦争で家も親も失い、飢えに苦しみながら、駅の地下道でボロをまとい、垢だらけになって、悪臭を漂わせながら生きる子どもたちの姿を。記事は、そんな子どもたちを焼け残った自宅へ連れて行き、「自分の子」として育てた裕さんの母親と、共に暮らしてきた裕さんの話を紹介している。そこで語られる戦災孤児の姿は、私が初めてメキシコシティの路上で暮らす子どもたちと向かい合った時にみた姿と、あまりによく似ていた。</div>
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<br /></div>
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着たきり雀で物乞いをしたり、残飯をあさったり、時に盗みをしたりして生きのびる子どもたち。一緒に電車に乗ったり、レストランに入ろうとしたりすると、周囲がさーっと離れていったり、警備員が追い出しにきたり。「(そういう時に人々は、)汚れたものを見るような目を向けて。子どもたちは飢えだけでなく、この視線にも耐えてきた」と語る裕さん。メキシコシティで出会った子どもたちも、そうだった。</div>
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「子どもに必要なものは、あたたかい食事、そして一緒に食卓を囲む誰か」と、裕さん。屋台でタコスを食べたり、映画を観に行ったりしながら話をする時のストリート少年も、ふだん仲間と路上でシンナー類を吸ってラリっている時とは打って変わって、饒舌になった。笑顔が増えた。</div>
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「愛児の家」には現在、親はいるが一緒には暮らせなくなった子どもたちが生活している。「虐待を受けた子もいれば、離婚時に自分を押し付け合う両親の姿を見てきた子もいます。自分の存在を否定されてここに来るのです。本当の孤児より気の毒かもしれません」</div>
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。そう話す裕さんの言葉が、家を飛び出して路上に来ざるを得なかった子どもたちとも重なる。</div>
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記者のコメントの中には、現代の日本に生きる子どもたちが置かれた、厳しい現実が示されている。曰く、「飽食の時代といわれる今、貧困や虐待が理由で親と離れて暮らす子どもは、3万9000人。終戦直後3万5000人いたとされる浮浪児の数を超えた」。</div>
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私たちのNGOには今でもたまに、中高生や大学生が、「ストリートチルドレンについて調べているのですが」と、質問に来ることがある。そんな時、自分たち、日本の子どもたちのことも頭において、調べたり、考えたりして欲しいと話す。私の中では、相川さんにきいた「戦災孤児」の姿と、様々な国で出会った路上の子どもたち、日本の養護施設にいる子どもたち、一見ふつうに生活しているが、自分の存在を肯定された経験が薄いために、ささいなことから大きな問題を起こしたり、人生に希望を持てなくなってしまったりする子ども・若者たちが、同じ世界の住人に思えてならないからだ。</div>
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おとながもたらした社会のゆがみ、世界の矛盾が、子どもたちを追い詰める。その構図はいつの時代もどの場所においても、変わらない。おとなはそれを自覚して社会を見直し築き直す、子ども・若者もそれに気づいたら、抗議の声を上げる。そんなところから、社会を変えて行かなければならない。</div>
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-32263469022824889762016-02-21T13:29:00.000+09:002016-02-21T13:29:10.457+09:00雇用なしで生きる<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
昨年6月にスペインの地方選挙の話を書いて以来、放りっぱなしになっていたブログ。いかんいかんと思い、そのスペイン話で復活させることに。<br />
<br />
まさにそのとき書いたことに関係する本が、3日前に無事発刊となった。4年前の2011年5月15日起きた市民運動15M を追い始めてから、取材を重ねてきたテーマをまとめたものだ。タイトルは「雇用なしで生きる」。今や良き友人となったスペインのフリオ・ヒスベールさんが書いた本からいただいたタイトルだ。それはある意味、象徴的なタイトルで、要は既存の経済、社会、政治のあり方を見直し、生き方そのものを変えようというメッセージを込めたものだ。<br />
<br />
政治、経済、社会の変革。それは今、この日本でも真剣に議論される必要性に迫られていること。だが、多くの場合、どれかに偏り、実際の行動はひとつのことにのみ限定されがちな気がする。それをつなげて考え、行動しているのが、スペインで政治運動や社会的連帯経済に関わる市民だ。そのネットワーク力を、ぜひ私たちも学びたいと思い、この本を書いた。<br />
<br />
私自身は大学を出てからずっと、雇用なし、のフリーランスだが、それがかなり特殊に見られるうえ、やっていくのに苦労する社会が、日本だ。なぜそうなるのかを考えれば、おのずとこの社会が抱える不自由さ、管理主義、過剰なまでの企業信奉による資本主義支配の奇妙さに気づく。働くことに喜びを見い出すことがむずかしい社会、「喜びを見いだしているよ」と言う人も実は「働くこと」ではなく、「それで得られるお金や地位」に喜びを見い出しているのではないかと疑いたくなることも多い。いわゆるお金や、いわゆる地位につながらない労働をする者は、価値がないかのようだ。<br />
<br />
その矛盾に気づくことが、これからの日本の未来を、世界の未来を明るくする。<br />
余談だが、さきほどテレビ「日曜美術館」で、蓑虫山人という放浪の画家の話をみて、まさに「雇用なしで生きる」の理想のような人だなぁ、とうなった。全国各地で野宿をしたり、ひとに世話になったりしながら、絵を描く旅をする。宿や食事の礼に絵を置いて行く。そう、お金も地位も目的じゃない仕事(活動?)で自由かつ幸せに生きる。なんとすばらしいことか!それが受け入れられる社会が、150年ほどまえはここにもあった。</div>
工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-66691194483951164982015-06-06T11:39:00.000+09:002015-06-06T11:39:03.885+09:00政治は市民が変える 〜スペイン〜<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
ひと月以上このブログを更新する時間がとれないまま、4月20日にスペインへ飛んだ。来年頭に出版予定の本のための取材と、今雑誌「ワイナート」に連載中のワイナリー建築の取材(スペインワイン好きなんです!)、そして5月24日に行なわれたスペイン統一地方選の取材のためだ。<br />
<br />
2011年5月15日、経済危機の元凶である大銀行には救いの手を差し伸べる一方で、そのつけを教育・医療保険などの社会福祉予算の削減によって市民に払わせようとする政府のやり方に、「もういい加減、真の民主主義を!」と叫ぶ人々の運動「15M」が生まれたスペイン。失業率20%以上という生活状況の中で、暮らしを何とか支え良くして行くには、もう既存の政党や政治家(屋)に頼ってはいられないと考えた市民は、その解決・対応策を自ら考え、実行することを始めた。そのなかで人々は、ひとつの結論を導き出した。「政治も自分たちが変えなければ」。そう、もはや「プロの政治家」=自分たちと資本家の利益ばかり優先する連中になど、任せていては駄目なのだ。<br />
<br />
言うは易し。しかし、実際に政治に直接関わった事のない市民が、自ら政治の世界で変革を起こす事は、そう簡単なことではない。悲惨なほど低い投票率を誇る(!)日本の市民も、既存の政治家(屋)に期待していない点は同じだが、自分たちの希望や考えを実現するために行動するのではなく、行動しないことで不満を示すだけであるところが、スペインの人々と大きく異なる。今回の地方選において、今の政治を変えなければと考えるスペインの人たちの多くは、4年前の選挙時と異なり、こう決意した。「この政党・政治家には絶対に任せたくない、という相手が確実に落選するように投票しなければ」、「自分たちが良いと思う政策を実現できる人間を、自分たち自身が候補者にたてよう」。<br />
<br />
それを可能にしたのは、15Mに始まる一連の市民運動が、政治に関心を持ち続けている20〜40代、専門分野は異なるが、社会の変革の必要性を積極的に感じている知識層に、市民政党Podemos(我々はできる、の意)を生む力を与えたことだ。マドリードのコンプルテンセ大の政治学の教授で複数のTV番組で政治コメンテーターもつとめ、若い頃から左派政治運動にも関わってきたパプロ・イグレシアス(37)が、15Mが求めるものを実現するために、2014年1月、仲間とともにPodemosを創設した。そして、15Mに参加した人々をはじめとする「変革」を求める市民に呼び掛けた。Podemosを通して、自分の考えを表明しよう、政策に反映しよう、自ら政治を創ろう、と。<br />
<br />
Podemosの党員になるのは、簡単だ。インターネットでPodemosのサイトへ行き、住所氏名電話番号などとIDナンバーを登録してクリックするだけで、数分で完了する。お金はいらない。最も大切なのは、党サイトで提案される様々な政策議論に直接・間接(ネットを通して)的に参加し、自分の住む地域でPodemosのcirculoをつくって、仲間と共にPodemosの政策を議論し、活動を展開することだ。今回の地方選では、Podemosは資金(市民からのマイクロクレジットで賄った)と力を州選挙に集中させるために、市町村選をすべてcirculoに託した。各地域のcirculoのメンバーが自分たちでPodemos系政党・グループをつくり、候補者をたてて選挙に参加したのだ。<br />
<br />
マドリードの郊外にある人口22000人ほどの町でも、私の友人たちとその仲間たちが、小さな小さな政党をつくり、自ら候補者となって、選挙に挑んだ。その結果、21議席中7議席をとった二大政党のひとつ、中道左派の社会労働党に次ぐ5議席を獲得した。比例代表制なので、得票数の割合によって、候補者リストの上から5人が当選したわけだ。当選者は---会計士で三児の母、ベテラン看護師、環境活動家、大学院生、有機農家。皆、政界のニューフェイス。<br />
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投票日の夜、開票がほぼ終わった時点で結果を知ったメンバーは、近くのバルで歓喜した。まさかこんなに議席がとれるとは!しかも与党だった国民党と同じ5議席で、第一党に返り咲いた社会労働党が連立を要請してくれば、政権に入るかも知れない! 社会労働党との連立には賛成・反対、両方の意見があるので、どうなるかわからないが、ほんの2か月前までは「普通の住民」だった若者、おじちゃん、おばちゃんが、圧倒的な宣伝力を持つ二大政党と互角の立場になったこと自体が、まさにミラクルだった。<br />
「世界は"ここ"から変わるぞ!」<br />
当選したアラフォーの環境活動家、ホセマリーアはビール片手に天井に向かって人差し指を突き上げて、そう叫んだ。皆、自分たち自身も信じられないという様子。でも笑顔笑顔だ。<br />
「人々はやはり今までの政治に嫌気が差しているんだ。だからポスターの数は少なくても、ちゃんと私たちをみていてくたれんだ」<br />
候補者リストには入らず、党のブレインをつとめた68歳の元労働組合リーダーのペペが言う。<br />
投票所の監視員をつとめ、リスト4番目で当選も果した大学院生のダニエルは、開票作業に立ち会っていたため、夜中の12時近くになってようやくバルに現れた。「今の気持ちは?」と尋ねると、<br />
「疲れた〜〜〜!」<br />
と満面の笑みを浮かべ、それからこう付け加えた。<br />
「でも大満足さ!」<br />
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6月13日、全国で新たな議会が正式に形成される。過半数を取れなかった各党は、どこと共闘するかを話し合う、厳しい時間をいますごしている。が、それでも市民は変革へと突き進むだろう。11月、今度はいよいよ総選挙だ。<br />
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-86741873809359503212015-02-02T20:28:00.001+09:002015-02-03T08:08:26.323+09:00安倍政権の思うつぼにはまるな<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
イスラム国による人質殺害事件については、様々なメディアで様々なことが語られている。現場を取材していない身で、人質となった2人の思いや事件への日本政府の対応、イスラム国についてなどを論じることはしないでおこう。ただ、どうしても声を大にして言っておかなければと思うのは、これで安倍政権の言う「日本人を守るための自衛隊派遣」といった武装集団の海外派遣を「やはり必要だ」などと考える「あさはかさ」だけは持ってはいけない、ということだ。<br />
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安倍首相は、8月に湯川さん、10月末からは後藤さんが人質になっていることを知っていた。にもかかわらず、中東でイスラム国が敵視している国々の活動に(どんな形であれ)協力するという宣言をした。あのブッシュのごとく、「テロとの戦い」という言葉にこだわった発言を繰りかえした。そして、人質解放交渉の中でさえ、「しかしテロには屈しない」と言い続けた。必要だったのか?何のためにそうしたのだ?<br />
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それはあたかも、「これで人質を解放しなかったら、今度は武力だって用いるぞ、国民を守るには必要なんだから」とでも言いたいかのように、思えた。そう思えたのは、私だけではないだろう。そして、そのシナリオにのせられる人がいないとは言えないのが、今の日本だ。<br />
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安倍首相はさらに、イスラム国に償わせるといった発言をしている。何をするつもりなのだ?敵討ちか?時代錯誤も甚だしい。<br />
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集団的自衛権の行使容認についても、結局押し切られ、そんな独裁的な政権を再度「承認」したと言われる日本国民は、武力を否定し平和を築くために命を落とした人々の意思を無視して、武力行使を許す方向へ走るのか?<br />
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そんなことだけは、してはいけない。させてはいけない。<br />
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3203104996117874536.post-13624791308908527252015-01-14T00:23:00.001+09:002015-01-14T00:23:42.775+09:00お金だけの問題ではない、「上」と「下」の違い<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
ある新聞の連載記事で、ある裕福な家庭の若者と養護施設育ちの貧しい若者の声を紹介していた。<br />
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社会の「上」に属する裕福な家庭に育った大学生は、社会貢献活動に熱心な貧困家庭出身の同級生と仲良くなり、ともに海外ボランティアをした経験から、貧困問題に関心を抱き、それに関わる将来、就職を考えるようになる。そして思う。そんなことを考えながらも、特に必要とはいえない洋服やバッグ、メイクにお金をかける自分は、まずそうした行動自体を改めるべきかも知れないと。同時に、自分を社会問題に目を向けるように導いてくれた友人が、職種を問わずにとにかく安定した収入のある就職を目指すと言うのをきいて、考える。彼女のほうが社会のことをずっとよく考えているし、行動する才能があるのに、何がやりたいかで職を選ぼうとできないのは、やはり経済的な制約のある環境で育ったせいだろうか、と。<br />
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社会の底辺、「下」にいる若者は、養護施設やそこからの就職先など、さまざまな場面で知り合った人たちに助けられながら、やりがいのある仕事に就き、多くはないがそれなりの収入を得て、順調に未来へと歩んでいる。が、まわりには、自分と同じように恵まれない子ども時代を送ったために、将来に夢を抱けない知人が大勢いる。そうした現実をみて、思う。ひとが「下」に居続けるか抜け出せるかの境目は、お金だけではなく、ひととのつながりの有無ではないか、と。<br />
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大学生の頃、メキシコの貧困層の研究を始め、スラムの友人たちと出会った私も、それ以来、考えるようになった。おしゃれのような、必ずしも必要ではない物にお金をかけることは、間違っているのではないか、と。そして徐々に服などにお金をかけることを控えるようになった。今じゃ、かけたくてもかけるお金がないが、それ自体も不自由だとは感じなくなった。そして思う。何かの時にほんとうに頼りになるのは、ひととのつながりだと。<br />
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「下」の若者が言うように、貧しい者をより悲惨な状況へと追い詰めるのは、お金がないという事実よりもむしろ、その状況から生み出されることの多い、まわりとのつながりの欠如だ。記事の若者は、本人の性格や周囲の環境もあってだろう、困った時にはいつも力になってくれる人が現れ、ひとのつながりが広がり、人生も開けていった。が、貧困層の若者の多くは、「お金があってなんぼ」の社会で、しだいに人付き合いを失い、ひととのつながりをなくし、その作り方も忘れてしまい孤立することで、ますます貧しさに追い込まれて行く。追い詰められると、思考は狭まり、問題解決の方法もみえなくなり、人生の選択肢も狭まる。<br />
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私たちは、「上」にいようが「下」にいようが、ひととのつながりによって生かされ、幸福に暮せるのだということを忘れずに、それを忘れそうな人をみつけたら、手を差しのべることのできる人間になりたいものだ。<br />
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工藤律子http://www.blogger.com/profile/03155400816182874337noreply@blogger.com0