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2020年8月20日木曜日

怒れる者、隷属を拒絶する者

 朝日新聞に、政治学者の豊永郁子氏が、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の有名な「民衆の歌」の日本語歌詞には、オリジナルの歌における重要な言葉、「怒れる者たち」と「2度と奴隷にならない」という言葉がない、と書いていた。ただ漠然と「自由のために戦う」という感じになっているというのだ。

「奴隷」と言われてもピンとかないから、ということか? その疑問から、再び Black  lives matter 運動に対する日本人の反応が頭をよぎった。これは人種差別問題だから、日本人にはあまり関係ない。そういう感覚から来ると思われる反応の鈍さに、改めて危機感を覚える。

なぜなら、この運動は、社会において誰かや何かに怯え、虐げられ、隷属させられることに対する抗議だからだ。それでも「奴隷制を知らないから、わからない」と言うのなら、まず奴隷制や、その下で生きることを強いられた人々とその子孫が、社会でどういう状況に置かれてきたのかということを、きちんと知るべきだ。そして、彼らが感じていることを理解しようとするべきだ。そうすれば気づくだろう。「2度と奴隷にならない」ということは、足に鎖をつけられたり、鞭打たれて働かされたり、蔑視されたりすることはもうゴメンだ、というだけの意味ではなく、誰かや何かに隷属することを拒絶する、ということだと。

それは、人間としての権利と自由を奪うものに対して、心底怒れる者たちの闘いだ。この「怒れる者たち」という言葉は、2011年5月15日にスペインで起きた市民運動、通称「15M」運動においても、使われた。そこに参加した市民を、メディアがそう呼んだのだ。その表現は、レ・ミゼラブルを生んだフランスの元外交官ステファン・エセル(2013年没)が書き、15Mに参加した人々に大きな影響を与えた小冊子『怒れ、憤れ』から引用されている。エセルと15M参加者たちは、まさに新自由主義的グローバル化に基づく政治・経済システムが`市民の様々な権利を奪っていることに怒り、システムや「時代の流れ」とやらに隷属することなく、自分たちの権利をきちんと守るために立ち上がった。

私たち日本人の大半は、国民に嘘をつき、支離滅裂なコロナ対策しか打たない政府に対して、さして怒らない、闘わない。仕方ないと諦め、現状に隷属する。そんな国のありようを見た(わが父を含む)戦争体験者の多くが、今「まるで戦時中のようだ」と憂えるのも、当然のことだろう。「2度と戦争を繰り返さない」というのなら、戦時中のような国のあり方や社会の流れに、怒りを抱き、隷属しないこと。それが大切であるはずだ。

2020年7月13日月曜日

奴隷制の記憶

「奴隷制の記憶は、決して消せはしない」
 黒く気高く光る顔をこちらに近づけ、老紳士は言い放った。彼は、キューバ革命成功ののち、地元である東部バラコーア県初の黒人国会議員になった人物だ。その祖先はアフリカから奴隷として連れてこられ、彼の祖父母の時代まで、奴隷として生きることを強いられた。だが、彼の父親は、小学校レベルまで勉強する機会を得て、その後は馬具職人となった。そして、子どもたちに十分な教育を受けさせることに専念。その結果、今や100歳に迫る長生き老紳士は、高等教育を受け、農業技師となり、革命政権下で国会議員をつとめた。
「無学であることほどの奴隷状態はない。それが祖母の口癖だった。私たちにとって、それは今でも大きな戒めだ。だから子どもたちには言い続けたんだ。『今学びなさい。万一、奴隷制が復活した時に、手足や指を奪われないように』と。幸い、キューバでそんなことが起きることはなさそうだけどね」
 米国でのBlack lives matterの運動を見ていて、彼のことを思い出した。米国では、かつて奴隷として連れてこられた人々の子孫である黒人が、今も手足や指だけでなく、命を奪われている。しかも、たとえ学があったとしても、その危険と不安は常に付きまとっているという。著名な学者でさえ、黒人であることで米国社会に気を許せないでいる。ニューヨークタイムズの記者が、そんなコラムを書いていた。これは、「黒人差別」という言葉だけで説明できることではないだろう。
 歴史が作り上げた差別意識。植え付けた偏見。それは、米国では黒人、日本では在日朝鮮人や部落出身者に対して、というように、民主主義社会になったはずの現代にも残っている。その差別と偏見を社会として全面的に否定し、平等の価値を共通認識とすること。それを可能にする社会制度と教育を築くことが、欠かせない。
 平等を掲げる社会主義キューバにおいても、差別が完全に消えたわけではない。が、その裏にある歴史の記憶ときちんと向き合い続け、間違いを正す努力を社会が続ける限り、人の命は尊重されるのではないだろうか。

 

2020年6月28日日曜日

つながる子どもたち ( Mexicoより)

仲間たちとボランティアで運営する「ストリートチルドレンを考える会」が応援している、メキシコシティのストリートチルドレン支援NGOに、Casa Alianza México がある。私とパートナー(フォトジャーナリスト)の篠田は、もう30年ほどつながりを保っている仲間だ。そんな彼らが、このコロナ危機下で「初めて始めた」ことがある。5カ国の子どもたちをつないだオンライン・アクティビティだ。

Casa Alianza は、米国ニューヨークに本部を置く国際NGOで、英語ではCovenant Houseという。そのメキシコ・中米版が、Casa Alianzaだ。現在、ニューヨークとメキシコシティ、グアテマラシティ、テグシガルパ(ホンジュラス)、マナグア(ニカラグア)に拠点を持ち、路上生活をしている・していた子どもたちへの支援活動を展開する。子どもが、路上生活を抜け出し、大人になって自立するまでの生活を支える定住施設を持つ。その定住施設「グループホーム」に暮らす子どもたちは皆、現在コロナ問題のために外出自粛中だ。過去に受けた暴力や虐待の体験、薬物依存などから、もともと精神的に不安定な状態にいる彼らが、狭い空間での共同生活を長く続けることは、喧嘩や鬱状態など、多くの問題を生む。

そんな陰鬱な空気を打ち破り、子どもたちが安心して困難を乗り切れるよう、グループホームのスタッフは、あの手この手で彼らの気を紛らわし、前向きになれるようなアクティビティを考えているという。そんななか浮上したのが、「5カ国のグループホームをオンラインでつないで、互いのことを発表したり、コンテストをやったりする」というアイディアだ。メキシコのスタッフが提案した。

第一回は、それぞれが暮らす「ホーム」について、子どもたちが紹介しあったという。全員参加が原則だ。これまで会ったことがなく、存在も知らなかった、別の国に生きる仲間たち。彼らとの出会いが、子どもたちに新しい楽しみやモノの見方をもたらしたという。

どんなに辛い状況の中にいても、「ひとりじゃない」という感覚こそ、ひとの心を救い、命を救う。コロナ危機がもたらした「つながり」が、憂鬱な日々を送る子どもたちの心に、新たな希望を生み出したようだ。