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2016年3月8日火曜日

「浮浪児」と呼ばれた戦災孤児と現代日本の子どもたち

先日、NGO「ストリートチルドレンを考える会 (CFN)」の仲間が、昨年11月末の読売新聞に掲載された、「戦後70年 伝える」というシリーズ記事のひとつのコピーをくれた。そこに書かれていたのは、私が「ストリートチルドレン」の取材を始めるきっかけとなり、その後、共にCFNを創った故・相川民蔵さんが最初に「ストリートチルドレンのことを知りたい」とおっしゃった理由と重なる話だった。

1945年8月を都市で迎えた人の多くは、相川さんやこの記事の主人公、児童養護施設「愛児の家」の石綿裕さん(83)と同じ光景を目にしたことがあるかも知れない。戦争で家も親も失い、飢えに苦しみながら、駅の地下道でボロをまとい、垢だらけになって、悪臭を漂わせながら生きる子どもたちの姿を。記事は、そんな子どもたちを焼け残った自宅へ連れて行き、「自分の子」として育てた裕さんの母親と、共に暮らしてきた裕さんの話を紹介している。そこで語られる戦災孤児の姿は、私が初めてメキシコシティの路上で暮らす子どもたちと向かい合った時にみた姿と、あまりによく似ていた。

着たきり雀で物乞いをしたり、残飯をあさったり、時に盗みをしたりして生きのびる子どもたち。一緒に電車に乗ったり、レストランに入ろうとしたりすると、周囲がさーっと離れていったり、警備員が追い出しにきたり。「(そういう時に人々は、)汚れたものを見るような目を向けて。子どもたちは飢えだけでなく、この視線にも耐えてきた」と語る裕さん。メキシコシティで出会った子どもたちも、そうだった。

「子どもに必要なものは、あたたかい食事、そして一緒に食卓を囲む誰か」と、裕さん。屋台でタコスを食べたり、映画を観に行ったりしながら話をする時のストリート少年も、ふだん仲間と路上でシンナー類を吸ってラリっている時とは打って変わって、饒舌になった。笑顔が増えた。

「愛児の家」には現在、親はいるが一緒には暮らせなくなった子どもたちが生活している。「虐待を受けた子もいれば、離婚時に自分を押し付け合う両親の姿を見てきた子もいます。自分の存在を否定されてここに来るのです。本当の孤児より気の毒かもしれません」
。そう話す裕さんの言葉が、家を飛び出して路上に来ざるを得なかった子どもたちとも重なる。

記者のコメントの中には、現代の日本に生きる子どもたちが置かれた、厳しい現実が示されている。曰く、「飽食の時代といわれる今、貧困や虐待が理由で親と離れて暮らす子どもは、3万9000人。終戦直後3万5000人いたとされる浮浪児の数を超えた」。

私たちのNGOには今でもたまに、中高生や大学生が、「ストリートチルドレンについて調べているのですが」と、質問に来ることがある。そんな時、自分たち、日本の子どもたちのことも頭において、調べたり、考えたりして欲しいと話す。私の中では、相川さんにきいた「戦災孤児」の姿と、様々な国で出会った路上の子どもたち、日本の養護施設にいる子どもたち、一見ふつうに生活しているが、自分の存在を肯定された経験が薄いために、ささいなことから大きな問題を起こしたり、人生に希望を持てなくなってしまったりする子ども・若者たちが、同じ世界の住人に思えてならないからだ。

おとながもたらした社会のゆがみ、世界の矛盾が、子どもたちを追い詰める。その構図はいつの時代もどの場所においても、変わらない。おとなはそれを自覚して社会を見直し築き直す、子ども・若者もそれに気づいたら、抗議の声を上げる。そんなところから、社会を変えて行かなければならない。

2016年2月21日日曜日

雇用なしで生きる

昨年6月にスペインの地方選挙の話を書いて以来、放りっぱなしになっていたブログ。いかんいかんと思い、そのスペイン話で復活させることに。

まさにそのとき書いたことに関係する本が、3日前に無事発刊となった。4年前の2011年5月15日起きた市民運動15M を追い始めてから、取材を重ねてきたテーマをまとめたものだ。タイトルは「雇用なしで生きる」。今や良き友人となったスペインのフリオ・ヒスベールさんが書いた本からいただいたタイトルだ。それはある意味、象徴的なタイトルで、要は既存の経済、社会、政治のあり方を見直し、生き方そのものを変えようというメッセージを込めたものだ。

政治、経済、社会の変革。それは今、この日本でも真剣に議論される必要性に迫られていること。だが、多くの場合、どれかに偏り、実際の行動はひとつのことにのみ限定されがちな気がする。それをつなげて考え、行動しているのが、スペインで政治運動や社会的連帯経済に関わる市民だ。そのネットワーク力を、ぜひ私たちも学びたいと思い、この本を書いた。

私自身は大学を出てからずっと、雇用なし、のフリーランスだが、それがかなり特殊に見られるうえ、やっていくのに苦労する社会が、日本だ。なぜそうなるのかを考えれば、おのずとこの社会が抱える不自由さ、管理主義、過剰なまでの企業信奉による資本主義支配の奇妙さに気づく。働くことに喜びを見い出すことがむずかしい社会、「喜びを見いだしているよ」と言う人も実は「働くこと」ではなく、「それで得られるお金や地位」に喜びを見い出しているのではないかと疑いたくなることも多い。いわゆるお金や、いわゆる地位につながらない労働をする者は、価値がないかのようだ。

その矛盾に気づくことが、これからの日本の未来を、世界の未来を明るくする。
余談だが、さきほどテレビ「日曜美術館」で、蓑虫山人という放浪の画家の話をみて、まさに「雇用なしで生きる」の理想のような人だなぁ、とうなった。全国各地で野宿をしたり、ひとに世話になったりしながら、絵を描く旅をする。宿や食事の礼に絵を置いて行く。そう、お金も地位も目的じゃない仕事(活動?)で自由かつ幸せに生きる。なんとすばらしいことか!それが受け入れられる社会が、150年ほどまえはここにもあった。

2015年6月6日土曜日

政治は市民が変える 〜スペイン〜

ひと月以上このブログを更新する時間がとれないまま、4月20日にスペインへ飛んだ。来年頭に出版予定の本のための取材と、今雑誌「ワイナート」に連載中のワイナリー建築の取材(スペインワイン好きなんです!)、そして5月24日に行なわれたスペイン統一地方選の取材のためだ。

2011年5月15日、経済危機の元凶である大銀行には救いの手を差し伸べる一方で、そのつけを教育・医療保険などの社会福祉予算の削減によって市民に払わせようとする政府のやり方に、「もういい加減、真の民主主義を!」と叫ぶ人々の運動「15M」が生まれたスペイン。失業率20%以上という生活状況の中で、暮らしを何とか支え良くして行くには、もう既存の政党や政治家(屋)に頼ってはいられないと考えた市民は、その解決・対応策を自ら考え、実行することを始めた。そのなかで人々は、ひとつの結論を導き出した。「政治も自分たちが変えなければ」。そう、もはや「プロの政治家」=自分たちと資本家の利益ばかり優先する連中になど、任せていては駄目なのだ。

言うは易し。しかし、実際に政治に直接関わった事のない市民が、自ら政治の世界で変革を起こす事は、そう簡単なことではない。悲惨なほど低い投票率を誇る(!)日本の市民も、既存の政治家(屋)に期待していない点は同じだが、自分たちの希望や考えを実現するために行動するのではなく、行動しないことで不満を示すだけであるところが、スペインの人々と大きく異なる。今回の地方選において、今の政治を変えなければと考えるスペインの人たちの多くは、4年前の選挙時と異なり、こう決意した。「この政党・政治家には絶対に任せたくない、という相手が確実に落選するように投票しなければ」、「自分たちが良いと思う政策を実現できる人間を、自分たち自身が候補者にたてよう」。

それを可能にしたのは、15Mに始まる一連の市民運動が、政治に関心を持ち続けている20〜40代、専門分野は異なるが、社会の変革の必要性を積極的に感じている知識層に、市民政党Podemos(我々はできる、の意)を生む力を与えたことだ。マドリードのコンプルテンセ大の政治学の教授で複数のTV番組で政治コメンテーターもつとめ、若い頃から左派政治運動にも関わってきたパプロ・イグレシアス(37)が、15Mが求めるものを実現するために、2014年1月、仲間とともにPodemosを創設した。そして、15Mに参加した人々をはじめとする「変革」を求める市民に呼び掛けた。Podemosを通して、自分の考えを表明しよう、政策に反映しよう、自ら政治を創ろう、と。

Podemosの党員になるのは、簡単だ。インターネットでPodemosのサイトへ行き、住所氏名電話番号などとIDナンバーを登録してクリックするだけで、数分で完了する。お金はいらない。最も大切なのは、党サイトで提案される様々な政策議論に直接・間接(ネットを通して)的に参加し、自分の住む地域でPodemosのcirculoをつくって、仲間と共にPodemosの政策を議論し、活動を展開することだ。今回の地方選では、Podemosは資金(市民からのマイクロクレジットで賄った)と力を州選挙に集中させるために、市町村選をすべてcirculoに託した。各地域のcirculoのメンバーが自分たちでPodemos系政党・グループをつくり、候補者をたてて選挙に参加したのだ。

マドリードの郊外にある人口22000人ほどの町でも、私の友人たちとその仲間たちが、小さな小さな政党をつくり、自ら候補者となって、選挙に挑んだ。その結果、21議席中7議席をとった二大政党のひとつ、中道左派の社会労働党に次ぐ5議席を獲得した。比例代表制なので、得票数の割合によって、候補者リストの上から5人が当選したわけだ。当選者は---会計士で三児の母、ベテラン看護師、環境活動家、大学院生、有機農家。皆、政界のニューフェイス。

投票日の夜、開票がほぼ終わった時点で結果を知ったメンバーは、近くのバルで歓喜した。まさかこんなに議席がとれるとは!しかも与党だった国民党と同じ5議席で、第一党に返り咲いた社会労働党が連立を要請してくれば、政権に入るかも知れない! 社会労働党との連立には賛成・反対、両方の意見があるので、どうなるかわからないが、ほんの2か月前までは「普通の住民」だった若者、おじちゃん、おばちゃんが、圧倒的な宣伝力を持つ二大政党と互角の立場になったこと自体が、まさにミラクルだった。
「世界は"ここ"から変わるぞ!」
 当選したアラフォーの環境活動家、ホセマリーアはビール片手に天井に向かって人差し指を突き上げて、そう叫んだ。皆、自分たち自身も信じられないという様子。でも笑顔笑顔だ。
「人々はやはり今までの政治に嫌気が差しているんだ。だからポスターの数は少なくても、ちゃんと私たちをみていてくたれんだ」
 候補者リストには入らず、党のブレインをつとめた68歳の元労働組合リーダーのペペが言う。
 投票所の監視員をつとめ、リスト4番目で当選も果した大学院生のダニエルは、開票作業に立ち会っていたため、夜中の12時近くになってようやくバルに現れた。「今の気持ちは?」と尋ねると、
「疲れた〜〜〜!」
と満面の笑みを浮かべ、それからこう付け加えた。
「でも大満足さ!」

6月13日、全国で新たな議会が正式に形成される。過半数を取れなかった各党は、どこと共闘するかを話し合う、厳しい時間をいますごしている。が、それでも市民は変革へと突き進むだろう。11月、今度はいよいよ総選挙だ。




2015年2月2日月曜日

安倍政権の思うつぼにはまるな

イスラム国による人質殺害事件については、様々なメディアで様々なことが語られている。現場を取材していない身で、人質となった2人の思いや事件への日本政府の対応、イスラム国についてなどを論じることはしないでおこう。ただ、どうしても声を大にして言っておかなければと思うのは、これで安倍政権の言う「日本人を守るための自衛隊派遣」といった武装集団の海外派遣を「やはり必要だ」などと考える「あさはかさ」だけは持ってはいけない、ということだ。

安倍首相は、8月に湯川さん、10月末からは後藤さんが人質になっていることを知っていた。にもかかわらず、中東でイスラム国が敵視している国々の活動に(どんな形であれ)協力するという宣言をした。あのブッシュのごとく、「テロとの戦い」という言葉にこだわった発言を繰りかえした。そして、人質解放交渉の中でさえ、「しかしテロには屈しない」と言い続けた。必要だったのか?何のためにそうしたのだ?

それはあたかも、「これで人質を解放しなかったら、今度は武力だって用いるぞ、国民を守るには必要なんだから」とでも言いたいかのように、思えた。そう思えたのは、私だけではないだろう。そして、そのシナリオにのせられる人がいないとは言えないのが、今の日本だ。

安倍首相はさらに、イスラム国に償わせるといった発言をしている。何をするつもりなのだ?敵討ちか?時代錯誤も甚だしい。

集団的自衛権の行使容認についても、結局押し切られ、そんな独裁的な政権を再度「承認」したと言われる日本国民は、武力を否定し平和を築くために命を落とした人々の意思を無視して、武力行使を許す方向へ走るのか?

そんなことだけは、してはいけない。させてはいけない。



2015年1月14日水曜日

お金だけの問題ではない、「上」と「下」の違い

ある新聞の連載記事で、ある裕福な家庭の若者と養護施設育ちの貧しい若者の声を紹介していた。

社会の「上」に属する裕福な家庭に育った大学生は、社会貢献活動に熱心な貧困家庭出身の同級生と仲良くなり、ともに海外ボランティアをした経験から、貧困問題に関心を抱き、それに関わる将来、就職を考えるようになる。そして思う。そんなことを考えながらも、特に必要とはいえない洋服やバッグ、メイクにお金をかける自分は、まずそうした行動自体を改めるべきかも知れないと。同時に、自分を社会問題に目を向けるように導いてくれた友人が、職種を問わずにとにかく安定した収入のある就職を目指すと言うのをきいて、考える。彼女のほうが社会のことをずっとよく考えているし、行動する才能があるのに、何がやりたいかで職を選ぼうとできないのは、やはり経済的な制約のある環境で育ったせいだろうか、と。

社会の底辺、「下」にいる若者は、養護施設やそこからの就職先など、さまざまな場面で知り合った人たちに助けられながら、やりがいのある仕事に就き、多くはないがそれなりの収入を得て、順調に未来へと歩んでいる。が、まわりには、自分と同じように恵まれない子ども時代を送ったために、将来に夢を抱けない知人が大勢いる。そうした現実をみて、思う。ひとが「下」に居続けるか抜け出せるかの境目は、お金だけではなく、ひととのつながりの有無ではないか、と。

大学生の頃、メキシコの貧困層の研究を始め、スラムの友人たちと出会った私も、それ以来、考えるようになった。おしゃれのような、必ずしも必要ではない物にお金をかけることは、間違っているのではないか、と。そして徐々に服などにお金をかけることを控えるようになった。今じゃ、かけたくてもかけるお金がないが、それ自体も不自由だとは感じなくなった。そして思う。何かの時にほんとうに頼りになるのは、ひととのつながりだと。

「下」の若者が言うように、貧しい者をより悲惨な状況へと追い詰めるのは、お金がないという事実よりもむしろ、その状況から生み出されることの多い、まわりとのつながりの欠如だ。記事の若者は、本人の性格や周囲の環境もあってだろう、困った時にはいつも力になってくれる人が現れ、ひとのつながりが広がり、人生も開けていった。が、貧困層の若者の多くは、「お金があってなんぼ」の社会で、しだいに人付き合いを失い、ひととのつながりをなくし、その作り方も忘れてしまい孤立することで、ますます貧しさに追い込まれて行く。追い詰められると、思考は狭まり、問題解決の方法もみえなくなり、人生の選択肢も狭まる。

私たちは、「上」にいようが「下」にいようが、ひととのつながりによって生かされ、幸福に暮せるのだということを忘れずに、それを忘れそうな人をみつけたら、手を差しのべることのできる人間になりたいものだ。

2014年12月21日日曜日

米・キューバ国交正常化の未来に想う

大ニュースとして、日本でも様々なメディアで取り上げられたこの出来事。キューバ市民はほとんど皆が喜んでいる、と報道されている。1990年からほぼ毎年通い続けたキューバの人々、友人、名付け子(親に何かあったときには面倒をみることになっている子ども。私たちの名付け子はまもなく二十歳になる青年だ)の未来を考えると、なかなか手放しには喜べないものが、私にはある。

日本人にとっては恐らく、陽気でリズミカルな音楽や踊りと野球やバレーといったスポーツのイメージしかないキューバだが、この国の人々は1959年のキューバ革命以降、様々な政治的、経済的苦難を乗り越え、今のキューバを築いてきた。今回、米国はキューバに歩み寄ることになったが、すでに報道されているオバマ大統領のこの決断の理由以外で見逃せないのは、これまで歩み寄りを許さなかった米国内の「勢力」がもはや力を失った、ということだろう。

90年代前半、私たちはあるCS放送の番組で、「ふたつのキューバ」というドキュメンタリーを作った。ふたつ、というのは、「キューバ」と「マイアミ」だ。革命直後から、マイアミには富裕層を中心に、カストロ政権とイデオロギーを異にするキューバ人たちが亡命し、腰を落ち着けた。そしてそこから武力攻撃や暗殺をはじめ、カストロ政権を倒すための様々な戦いを仕掛けてきた。と同時に、米国の政治・経済界でも重要な立場を占めるようになり、歴代政権の対キューバ政策に強い影響力を持ち続けてきた。ところが、社会主義圏の崩壊に伴う経済難民が、マイアミにたどり着くキューバ人の中心となり始めた90年代以降、マイアミのキューバ人社会自体が変わってきた。現在、頑に反カストロを叫んできた人々は高齢になり、在米キューバ人の多くが祖国との友好的な関係と自由な交流を望むようになっている。「ふたつのキューバ」をひとつにしたいという意思が、強まっている。

キューバの首都ハバナの市民は、ほとんどが米国に家族や親戚、友人を持つ。わが名付け子の周りをみていても、その数は年々増えているのではないかと想像する。だから、規制や手間なく米国との間を自由に行き来し、交流できることを望むのは当然だろう。特に若者にとって、海外へ行くのにいくつもハードルがあるというのは、いいことであるはずがない。日本人の若者なら、隣国へ旅行するのにいくつも書類を提出したり、何ヶ月もビザ待ちしたりしなければならないなんてことは、想像もできないに違いない。

キューバでは、昔から米国の音楽、テレビドラマ、ハリウッド映画など、アメリカン・カルチャーが普通に楽しまれている。わが名付け子の高校では、昼休みに校内のテレビモニターで「フレンズ」を流していたくらいだ。両国の関係が正常化して、自由な交流が深まれば、キューバの若者たちはもっとアメリカナイズされることが予想される。

今は、例えばキューバのネット環境は最悪で、ふつうの市民は一般にインターネットを利用できない。私たちのように、何でもネット検索できる、という状況は夢のような話だ。メールでさえ、自宅で使える人は限られており、大抵はメール専用のネットサービスセンターのような所に並んで入り、やっと送受信できるという感じだ。これが普通にネットを使えるようになれば、その影響力は計り知れない。

米国は、関係改善を通して何よりも、すでにキューバに経済進出している欧州やロシア、中国、韓国などに美味しいところを全部持って行かれる前に、かつてのような経済的影響力を確保したいというのが、本音だろう。そうだとすると、キューバにとって今後の課題はまさに、「革命以降築いてきたもの」をどのように受け継いで行くかを、真剣かつ慎重に考えるということだ。

米国からのモノと文化の大量流入は、どんなに経済的困難に見舞われても守ってきた無償の医療と教育、医者や識字教師を第三世界の国々に派遣し国際貢献する(シエラレオネにも多くの医師が派遣されている)という「キューバの心」、革命精神さえ、揺るがしかねない。21世紀、資本主義世界に足を突っ込むということは、中国やベトナムをみればわかる通り、極端な個人主義と格差を容認するということであり、そんな社会で平等の精神に裏打ちされた社会制度を維持することは、非常に困難だ。

様々な第三世界の国々で、ストリートチルドレンやスラムの人々、先住民など、底辺に追いやられた人たちを見続けてきた私たちにとって、「キューバの心」は大切に守って行きたいものだ。もちろん、わが名付け子には私たちの知る世界を自由に訪ね、キューバ国内の限られた選択肢の中ではなく、世界を視野に自分の能力を活かせる場所で学び働いてほしいが、それは「より(経済的に)豊かになれるように」という理由ではなく、より自分らしく生きるために、という意味でのことだ。つまり、キューバがどんなに米国と親しくなっても、忘れてほしくないのは、キューバ人が資本主義先進国へ行っても活躍できる、活躍できるという自信を持てるのは、キューバがすべての人に無償の教育を提供し、十分とは言えないまでも無料で国民の健康管理を続けてきたからだということだ。米国へ移民しても、貧しいメキシコ人の得られる機会とキューバ人が得られるそれとは、天と地ほども違う。中学も出ていないメキシコ人は、低賃金労働者として便利に使われるだけ。キューバ人のように企業で活躍できる人はほとんどいない。

キューバの人々をみていると、いつも考えさせられる。人が真に幸せになり、社会や世界に貢献する人間になるためには、単に教育を受けるだけでは不十分だし、単にお金をある程度持っているだけでも、自由に海外へ行けるだけでも駄目。ホセ・マルティが言うように、教養を身につけることで心と頭を自由にし、普通に暮らせる程度の経済力を持つなかで、異なる世界と人々のことをみる・考える視野の広さとバランス感覚を持つことが、大切なのではないかと。上ばかりみていても下ばかりみていても、右ばかりむいていても左ばかりむいていても、決して幸せにはなれない、ひとを思いやることはできない。

これからのキューバの闘いは、私たちが真に幸せで社会・国際貢献できる人間になるためにはどうすればよいかを模索する闘いでもあるのかもしれない。

2014年12月11日木曜日

若者たちの官邸前

特別秘密保護法が施行した昨日、官邸前には再び若者、元若者が1700人ほど集まった。私は知り合いの大学生が参加する「特別秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL)」がこの集まりを主催していると知り、出かけた。

開始時間の夕方6時に着くと、老若男女、様々な世代の人々の姿が夜の官邸前交差点に浮かんでいた。最初から、抗議行動用スペースと一般歩行者用スペース、車道が柵で分けられているのが、いつも気になる。ほかの国のデモや路上集会で、こんな光景はほとんどみたことがない。抗議行動の迫力を削ぐために、どっと集まれないようにしているとしか思えない。「ほかの人たち・車の邪魔にならないように」ということだが、邪魔になるくらいでないと、ひとはその切実さ、問題となっていることの深刻さを強く感じないものだ。

どのくらい人がいるのか確かめようと、うろちょろしていると、私の名を呼ぶ人がいる。一緒に本を作らせていただいたことがあり、私たち「ストリートチルドレンを考える会」の会員もである、絵本作家の浜田桂子さんだった。浜田さんら子どもに関わる仕事をされている作家たちも、この法律に抗議する運動をしている。行動する作家にそこで出会えたことで、元気が出た。

「若者たちが渋谷でデモした時も参加したのだけれど、リズムが違って、カッコいいのよね」と浜田さん。学生主導の集まりは、コールを上げるにもヒップホップのリズムとメロディーにのせて叫ぶから、歯切れが良い。なになにはんたぁ〜い、と叫ぶ中高年のそれとは確かに違う。

しばし叫ぶと、今度はスピーチの番が来る。最初に話した女子学生の言葉は、率直かつよく練られたもので、もっと大勢の若者に、おとなに伝えたいと思うと同時に、自分の学生時代の思いと重なるものがあり、共感を覚えた。

彼女は昨年も、官邸前で行われた大きな抗議集会に来たという。地下鉄に乗り、官邸前にたどり着くと、人の多さと熱気、叫びに圧倒され、自分には場違いではないかと感じて、結局その輪の中に入ることができなかった。そして地下鉄で帰路に着く。新宿まで行き、下車した彼女は周囲を見回した。と、そこにはこの世の中に何の問題もないかのように笑顔で通り過ぎる人々がいた。官邸前とここにいる人々のギャップ。それをみたとき涙が出たという。と、同時に、官邸前の場の雰囲気に圧倒され、一言も発せず意見を述べずに逃げてきた自分自身に腹が立ったとも。そして彼女は決意した。この国の民主主義と未来に関わることをきちんと自分で学び、考え、発言し、行動していこうと。

「無関心でいるうちに、市民が声を上げることができる可能性を奪われていく」、「忙しいことを理由に、勉強することから逃げていた。人々が戦い、勝ち取ってきた自由のもとに生かされていながら、自分では戦うことを放棄していた」、「平和は勝手に歩いてはこないんだ」---- 若者たちのスピーチには、多くのおとなが忘れている、たとえ気づいてはいても、自分の生活をややこしくしないために敢えて触れないようにしている真実が、たくさんちりばめられている。

私たちは彼らと同世代でも、もっと歳を取っていても、それに関係なく、ヒップホップでもラップでも演歌でもサンバでも、あらゆるリズムにのって、ともに声を上げるべき時にいる。上げるべき時に上げないと、70年前の戦争のようなことが起きる。福島の原発事故のようなことが起きる。それがわからない人は、鈍感なのか、想像力がなさすぎるのか、未来の人々に対する思いやりがなさすぎる自己中なのか、だ。

今年のノーベル平和賞を受賞したサティヤルティさんとマララさんのスピーチにも、世界の未来を思いやるメッセージが込められていた。私たちはそれを自分のものとし、行動で示さねばならない。
「知識を民主化し、正義を普遍化し、ともに思いやりを世界中に広げよう」
「空っぽの教室、失われた子ども時代、無駄にされた可能性を目にすることを"最後"にすることを決めた、"最初"の世代になりましょう」